46日目【静かな存在の肯定】

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世界が数年後にどうなるか、私にはわからない。 予言もできない。
自分を守るための、小さなお守りの言葉です。

スローリビング #ただここにいる #日常の幸せ


【補足】

『たとえ明日、世界が終わるとしても。私は今日、リンゴの木を植える。

とは、誰が言った言葉ですか?

はっきりした出典はなく、確実な発言者は特定されていません。

■ よく挙げられる人物

もっとも有名なのは
マルティン・ルター
です

ただし

ルター本人の著作や記録には、この言葉は確認されていません

■ 有力な説

現在では

  • 20世紀のドイツで広まった言葉
  • 戦後に希望の象徴として使われた

という説が有力です

つまり

「誰か一人の名言」ではなく、後世に作られた言葉の可能性が高い


19世紀ロシアの詩人ニコライ・ネクラーソフの詩 『迷いの闇の深い底から』の一説

噓つきの下らぬ俗衆を信ずることなく、
おのれの懐疑を忘れよ……


兼好法師はこう書きました。

「世に語り伝ふる事、まことはあいなきにや、多くは皆虚言なり」
(世間に語り伝えられることは、本当のことはつまらないからか、多くは作り話だ)


マルクス・アウレリウス(古代ローマ皇帝・哲学者)

自省録の中で、彼は「外部の評価」や「他人の噂」がいかに空虚であるかを繰り返し説いています。

「人の心の中をのぞきこんでみるがいい。そうすれば、きみが恐れたり、へつらったりしている人々が、実はどのような審判官であるかがわかるだろう」


アルトゥル・ショーペンハウアー(ドイツの哲学者)

彼は情報の摂取について、非常に手厳しい、しかし本質的な言葉を残しています。

「読書は、自分の頭ではなく、他人の頭で考えることである。……多読をすれば、自らの思考力が失われていく」


老子(古代中国の哲学者)

東洋の知恵もまた、情報の過多を戒めています。

「五色は人の目をして盲(めしい)ならしめ、五音は人の耳をして聾(つんぼ)ならしむ」 (あまりに多くの色や音は、かえって人の目や耳をダメにしてしまう)


ハーバート・サイモン(経済学者・心理学者)

1970年代、すでに彼は「情報過多」の本質をこう表現しました。

「情報の豊かさは、注意の貧困を生み出す」

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