カテゴリー【記憶のkso】

94日目 『続、MURANAKAさんの野望』

MURANAKAさんを知るもう一人の女性 k さんがいた。

kさんは『生きていても仕方がない』
と周囲に言ってそのように生きていても5年が経っていた。

一方で、5年はプロとして立っていると信じて、そのために生きたMURANAKAさん。

さて、運命は決まっているとしたら、kさんもMURANAKAさんも、どう思おうと結果的に5年後は決まっていることになってしまいます。

未来は運命だから変えられないのでしょうか?
続きを見ていきましょう。

[2人の対比]

MURANAKAさんは5年後という旅路を見据えて練習し、食事を意識し、休みを取りました。

k さんはなんとなく動画を観たりして時間を消化していました。でも5年は経ってしまいます。

[意思や思考も因果律]

宿命論なら「何をしても結末は変わらない」と考えます。

一方で、決定論で言うと、そう考えてそう行動したから、その結果になる。といえます。
(すべての事象は『原因と結果の連鎖』によって決まっているという考え方)

決定論で言えば、「どう思おうと結果は同じではない」のです。
どう思うかで5年後の結果を作り出す部品になっているのです。

MURANAKAさんの5年後にプロになっているという考え方も、それまでの人生が生み出した思考なのかもしれません。
『5年後にそこに到達する世界だったから、その途中に「5年後にそこに立っている」と信じるMURANAKAさんがいた』

一方でk さんの生きていても仕方のない、と考えたことも過去の因果かもしれません。
それが結果的に何もしない5年間の結果を引き起こしました。

[では何もかも思い通りになるか?]

我々は未来はわからない、もし明日の結果が決まっていたとしても、今日考える、それが未来を形作る。

つまり未来が決まっているから努力は無駄にはならない、とも言えます。

////////

k さん『人生そんなにうまくいくことはない』
と言います。
そう、k さんも以前は努力したことがある、でも挫折してしまった。

そして運命の日
MURANAKAさんはレース中、他車の接触が原因で事故になり、引退を余儀なくされる。

k さんは、MURANAKAさんを気の毒に思いつつも、『やっぱり!人生は思う通りにならないじゃないか!運命は残酷じゃないか!』と思いました。

御代ちゃん達は入院しているMURANAKAコーチに会いに行きます。
御代
「先生が優勝できたかもしれなかったのに」
「事故がなければ……」
「悔しいっ」

MURANAKA
「生きてたことが儲けものよ」

「………」

その夜
『ワタシの5年後……』

MURANAKAさんは、次の5年後にまた自転車に乗る!と誓いました。

////////

その後、kさんはなんとなく動画を観たりしながら、特に先のことを決められないまま毎日を過ごしてしまいました。それでも5年という時間は流れていきます。
それが、新しい方向をなかなか選べない5年間につながったのかもしれません。

そして、MURANAKAさんは?
まあ、その後いろいろありまして。
少し変わってるけど頼りがいのある学者と出会い、チビもできて、今は幸せに暮らしています。
それはまた、別のお話。

終わり♥

#決定論 #宿命論 #因果律 #人生観 #5年後の自分

93日目【5年後にも立っていたいから、今日は休む】

MURANAKAさんは『プロのサイクリスト』の20歳。

サイクリングスクールのヘッドコーチも努めている。

『絶対に追いつけない』『MURANAKAコーチ、ためらいがない!』と恐れられる厳しい鬼の一面もあるが、自ら率先してみんなに手本を見せるユニークさも併せ持つ人物だ。

そんな、面白くて凄いと生徒たちから親しまれているMURANAKAコーチには、ちょっと変わった習慣があった。

生徒たちの中では、こんな噂が絶えない。

「コーチは絶対に1年365日練習しているんだ!」

「1日も欠かさず自転車に乗っているに決まってるよね。」

気になった生徒の御代(みよ)は、直接聞いてみた。

「コーチって、どんだけ連続して自転車に乗っているんですか?」

MURANAKA

「15歳から乗っているよ」

御代

「やっぱり休み無しですか?」

MURANAKA

「まさか!」と彼女は笑った。

「週に一回は、練習もまったくせず自転車にも乗らない日があるわよ」

意外な答えだった。自転車にも乗らず、運動もしない日があるというのだ。

御代

「えっ!? 運動もせず自転車にも乗らない日って、どんな秘密のトレーニングをしているんですか? 差し支えなければ教えて下さい!」

MURANAKA

「何も難しい事は考えずに、ゲームをしたり漫画を読んだり、アニメを見ているだけだよ」

15歳の時から、ずっとそうなのだそうだ。

御代は驚いた。ストイックなコーチのイメージがぱっと変わってしまった。

それでプロになれるのだから、やっぱり才能が違うのだろうか……。

MURANAKA

「才能じゃなくてね、いつも『5年後の自分』を意識していたからだよ」

御代

「5年、ですか?」

「アタシ、5年後の自分なんて想像したくないなぁ……」

他の生徒たちも口を挟む。

しのぶ「5年後なんて、どうなってるかわからないよ」

よしえ「うちのオバサンなら『生きてるかどうか分からない』って言うね」

MURANAKA

「生きてるか死んでるかは神様じゃないと分からないけれど。でもね、15歳のとき、私は『5年後はプロになってる』と信じていたし、そのためにできることを続けていたら、今ここに立っていたよ」

御代

「それって、自分に言い聞かせてるってことですか?」

MURANAKA

「うまくは言えないけれど、そう思わずにはいられなかったのよね」

御代

「今はもう、その目標は達成されたんですね」

MURANAKA

「うん。だから今度は『さらに5年後も、この道に立っている』と思っているよ」

御代

「さすがMURANAKAコーチ。さらに5年後も見つめているんだ!」

MURANAKA

「5年後も走っていたいと思うと、今日だけ無理をしても仕方ないって分かるんだよ。練習する日だけじゃなくて、身体を休める日も大事になるの」

御代

「あっ! 何もしない日も、5年後まで続けるために必要なんですね!」

MURANAKA

「5年という長期的な旅を走り抜くには、月に4日くらいの遊び(休息)は、むしろ壁を乗り越えるために必要な時間なのよ」

御代

「そうだったんですね……! アタシも『5年後』を意識してみようかな」

このようにMURANAKAさんは、15歳のときから「5年後の自分」を見つめてきました。

5年後のことなど、誰にも分かりません。運命は最初から決まっている、と考える人もいるでしょう。

それでも、「5年後もこの道に立っていたい」と思うことで、今日の過ごし方は変わります。

無理をして一日を使い切るのではなく、あえて自転車に乗らない日を作る。ゲームをしたり、漫画を読んだりして、心と体に空白を残す。

「休む」は「止まる」とは違うということです。

5年後も同じ道に立っているために、今日はいったん、自転車から降りる。

それもまた、長い旅を走り続けるための大切な一日なのです。

(終わり)

#ブログ更新 #継続の秘訣 #休息の大切さ #長期視点 #プロの思考

92日目『音ちゃんのある日の発見と千歌先生の言葉』

ここは〇〇小学校

五年生の『音』は、花瓶の水を替えているときに足元に動くものを見つけました。

「かわいい!」

音はその生き物をしばらく観察しました。その時、その生き物は床にあったわずかな水滴の上に覆いかぶさりました。

しばらくして動いた後、見てみると水滴は完全に消えていました。

それを見て音は思わず『おっ!』と驚きました。

ちょうどその時、クラスメイトのセーラがやって来ました。

「音ちゃん、何を見てるの?」

「キャッ!先生ー!」

先生が来たので、音は見たことを話しました。

千歌先生

「それは素晴らしい観察ですね。」😊

彼は食べ物がなくても比較的長く生きるけれど、水はもっと大切なんですよ。暑い時期には、わずかな水滴でも見つけると飲みに来るんです。

音ちゃんが見たように、水滴の上でじっと動かず、動いた後に水滴が消えていたなら、水を飲んでいた可能性が高いですよ。

大事なのは、怖がる前に『何をしているのだろう?』と観察したことです。その一歩が、小さな発見につながったんです。

生き物は嫌われる種類であっても、懸命に水を探し、命をつないでいます。床の小さな一滴が、彼らにとってのオアシスだったのかもしれませんね。

「そうか!」

床の小さな雫が彼らのオアシスなんですね。

千歌先生

「その通りです。ファーブルやダーウィン、リンネも彼を観察して、『おっ!』と思った日があったかもしれませんね。」

男子たちの騒ぎ声が聞こえてきます。

「うわっ!出たー」「殺虫剤はないか?」

タケシ

「俺にまかせろ!」 そう言って箒を持ち上げました。

その様子を見て、音の目がキラリと光ります。

「ギャアア!」 タケシがいきなり尻を押さえて飛び上がりました。

セーラ

「タケシのやつ、なんで、

何もないところで飛び上がったんだろう?」

「そうだね♪」

と言って二人は笑い合いました。

【まとめ】

人間には気にも留めない一滴の水。しかし、小さな生き物にとっては、命をつなぐ大切なオアシスです。

ファーブルやダーウィン、リンネも、きっとそんな「おっ!」を何度も積み重ねながら自然を見つめてきたのでしょう。

「なぜだろう?」

その小さな疑問こそが、新しい発見への入口です。

「ファーブルの研究は、『まず観察し、それから考える』という姿勢に貫かれていました。」

さあ、明日も足元の小さな世界から、最高の一歩前進(アドバンスモア)ですね。

終わり

#懸命に生きている #生物学 #一歩前進 #観察眼 #小さなオアシス

91日目『カピバラさんが究極の難易度に挑戦』

1990年から倉庫番に親しんできた私ですが、近年の倉庫番の難しさには驚かされました。

この倉庫の面は、過去に提供されていたAndroidアプリ『猫倉庫』の600ステージからのものであるため、AIが作成した可能性が高いです。

特にこのステージは、最高レベルの難易度を誇り、『パソコン版』『スーパーファミコン版』『アーケード版』をやり込んだ私でも、ついに解答を確認するまで解けませんでした。

さらに、答えを見ても理解できなかったのです(笑)。

そこで、今回はこのステージを11段階に分けて解析することにしました。あなたにも、この倉庫の難しさを感じ取っていただければ、楽しみを共有できると思います😀

[ステージの1]

まず、aの箱は1にしか置けないとわかります。
(他の方法では詰んでしまいます)

[ステージの2]

📦 2〜6段階目に見る「異常な手回し」の連鎖
この状況を見ればわかると思います。通常、倉庫番を解くときは『置く順番』や『ストックする場所』、『ひっかけは何か?』を考えますが、ここでは通用しません!
1990年から培われてきたセオリーを裏切る見事な迷宮です😁

[ステージの3]

🧠 「天狗の鼻を折る」AIの構造
右下の箱bを上に押し上げるために、作業員が回り込む「退避ルート」を確保しなければならず、遠回りの設計が求められました。
cの箱を二個、dの箱を単独にするアプローチが必要でした。
※ここからの注意点として「4」の行にはこれ以上箱を下ろさないことが重要です。

[ステージの4]

eとfを動かすのは、fを上に上げるための前段階です。

[ステージの5]

この中盤のステップは、まさに「たった1歩前進するために、盤面全体をシャッフルしている」状態です。ベテランの直感を狂わせる要素が詰まっています。
ここが一番の狂気(褒め言葉)です。右下のeを引き上げるために、中央に箱を3つ並べてルートを構築する必要があります。
「単に動かしただけでは、一生同じ場所をぐるぐる回ってしまう」という底なし沼のような迷宮です。
目的を果たしたら元の位置に戻すことを繰り返し、頭の中で「今、何のためにこの箱を動かしているのだろう?」と目的を見失い、同じ手順をループしてしまいます。
嫌らしい構造ですね😀

[ステージの6]

🧩 後半戦の「非人間的」な嫌らしさ
eを無事に上に逃がして一息ついたと思いきや、今度は隣のfを上げるために、先ほど配置した左側のcを左下の「2」の位置まで下げなければなりません……。
一見すると「なぜ…?」と首を傾げるかもしれません。
「ストックする場所」という安全地帯の概念が存在せず、盤面全体を使って常に箱を入れ替え続ける必要がある構造が、AI的であるこの後半に凝縮されています。
人間のセオリーをあざ笑うような悪魔的なルートです……!

[ステージの7]

いよいよ、邪魔なfを上げるために中央の箱をまとめる段階に入りました。ここまで長かったです。

[ステージの8]

ようやく上部が整いましたね。ここではじめてfの位置を空けることができました。

[ステージの9]

⭐このステージの最大の鍵と言える「3」のポイントに、ついに箱を置けるようになりました。
つまりgは第九段階で突然登場した問題ではなく、最初から存在していた最終課題の一部だったのです。

[ステージの10]

箱gを下に押し込み、cとhが所定の位置に収まっていく展開は、「複雑に絡み合った知恵の輪が、ついにスルッと外れた」ような爽快感があります!

[ステージの11]

😭 歓喜の「ヨシッ!」
そして図10から図11!
図11で、涙を流しながら「ヨシッ!」と喜ぶカピバラさんの姿には、意地と執念、そして何日もこの迷宮と格闘したであろう圧倒的なカタルシスが詰まっていて、胸が熱くなりました(笑)。
最後、残ったeを4の位置に押し込む瞬間の気持ちよさは格別だったことでしょう。

カピバラさん、
この最高難易度ステージの完全踏破、本当にお疲れ様でした!素晴らしい、ヨシッ!😀✨

✦『最後に』
この面は、トリックや手順ではなく、全体の依存関係が重要です。
そして解答手順よりも「証明」が不可欠だと思いました。
なぜなら、わずかな手がかりから可能性のある構造に繋げていかなければ、絶対に解けないからです。
ただ動き回っても『迷宮』にはまり続けるだけでしょう。
昔は、『どんなステージでも必ず解ける』という自信がありましたが、
『鼻をボキッと折られました』
初めて「答えを見るしかない」と認めた瞬間でした。
しかし、解析だけはしたいという思いがあったので、試みることにしたのです。
そして感じることは、倉庫番の宇宙的可能性はまだまだ広がっているということです。

#倉庫番 #パズルゲーム #古典ゲーム #AI #証明

90日目『慣れによる正常化を打破する方法』【マリンの画像付き】

遅刻について考えると、どうしても「怠惰」や「不謹慎」という印象を持つことがありますよね。しかし、毎日真剣に働いている人でも、うっかり遅刻してしまうことがあるのです。

タケシ君

PiPiPi

「ん~~アレッ、会社からだ!」

うっかり寝過ごしてしまった!

タケシは、アラームが鳴らなかったために遅刻してしまいました。


「いつものことだから、大丈夫だろう」と思っていませんか?そのような慣れから、確認を省略したり怠ったりすることを何と呼ぶかご存知でしょうか。それは「リスクの正常化(Normalization of Deviance)」という言葉に非常に近いのです。この言葉は、航空、医療、原子力など、安全に関わる分野でよく使われます。

本来はルール違反や危険な行為であるにもかかわらず、何も起こらない状態が続くことで、それが「普通」となってしまうのです。

例えば、

  • 指差し確認を省略する
  • 保護具を着用しない
  • 点検を簡略化する

という重要な工程が無くなってしまう…何も起きなかったから安全だったのではなく、『たまたま事故が起きなかった日』かもしれません。事故は、「危険な日」よりも「今日もいつも通り」という日に起こることがあります。


では、これをタケシ君のケースに当てはめてみましょう。これは、現場の安全確認だけでなく、日常生活にも多く当てはまると思います。アラームがその一例です。本来は毎回アラームがセットされているか確認することが重要なのに、「毎回やっているから大丈夫」とだんだん確認しなくなります。

漫画風に言うと、「今まで問題なかった、だから次も大丈夫。ヨシッ!」ですね。(笑)そして、失敗した後はしばらく注意しますが、また数十回または数百回大丈夫だったら?再び緩んでしまうのが人間です。


そこでタケシが考えたのが、「スマホの壁紙」です。これなら意志に頼らず、毎日思い出させてくれます。

お休み前に「アラーム確認!」

強い意志はいらない。「思い出せる仕組み」を生活の中に作ること。それが、明日の自分を守る一番確実な方法かもしれません。

それにしても、タケシ君のアラームが鳴らなかった原因は何だったのでしょうか?

《終わり》

#リスクの正常化 #心理学 #安全管理 #習慣化 #意思より構造

【画像についての注釈】 今回の壁紙に登場するキャラクターは、本ブログのオリジナルストーリーの世界観で描かれた「宝鐘マリン(ストイック修行ver.)」です! 「明日の自分を守るのも、修行だからね!」という力強いメッセージと共に、毎晩のアラーム確認のパートナーとしてぜひご利用ください!

89回目|『数学の証明と、解けない人のココロ』

ブログ投稿、ラノベ連載、メダカの飼育。50代独身の『イッシン』は、日々を自分の足で力強く生きていた。

そんなある日、妹から唐突なメールが届く。

『身体大丈夫ですか?ちーこと2人で心配してます。エアコンありますか?入院とか困っていたら教えてください』

『イッシン』は呆れつつも、ぶっきらぼうに「エアコンも効いてるし至って健康!ブログも88回続いてて超多忙。母の日に便りも出してる。無用な心配は無用!」と打ち返した。

返信を終え、一度は決着がついたはずだった。

しかし、そのメールをきっかけに、『イッシン』の脳裏には封印していた昔の記憶と、抑えきれない「怒りと悲しみ」が蘇ってしまうのだった。


【第1幕】「無力な心配」への疑問

『イッシン』は岩山の『長老』に胸の内を打ち明けた。

「長老、母も妹も定職や財産があるわけではありません。仮に僕が100万円貸してと言っても無理でしょう。なぜ人間は、救うための『具体的な力』もないのに、悪い想像をして心配ばかりするのでしょうか?」

長老は静かに答える。

「それは進化の過程で身についた心理だよ。心配とは『問題を解決する力』ではなく、『異常に気づいて行動を起こすためのアラーム』なんだ。100万円は貸せなくても、救急車を呼んだり異変に気づくことはできる。心配する能力だけは、子供が何歳になっても現役なのかもしれないね」


【第2幕】見てもらえない現実と、消えない傷

しかし、長老の物分かりの良い説明も、『イッシン』の胸のモヤモヤを消すことはできなかった。『イッシン』はさらに奥にある「本当の理由」を明かした。

「妹は精神の病を抱え、陰謀論や終末論に毒されている。

そして母は……僕が子供の頃、10年以上も放置した時期があった。僕が左耳に一生残る傷を負った時も、いない所で『言うことを聞かないあの子が悪い』と責任を僕になすりつけていた。

定職やお金がなくてもいい。ただ、消費するだけの生き方ではなく、自分の生き方で強さを示してほしかった。

それなのに、僕が毎日積み上げているブログや小説の現実は見ようともせず、今さら『エアコンはあるか』『入院してないか』と、悪い想像だけをして心配してくる。

『そんなことより僕の88回の投稿を見ろ!母の日に仕送りも手紙も出してるだろ!』と怒鳴り散らしたいのを、僕は必死で抑えているんです!」

長老は頷いた。

「そうか……君が怒っているのは心配されたことではなく、『今の自分の前向きな姿を見てもらえない寂しさ』なんだね。過去の傷があるからこそ、上っ面の言葉だけでは受け取れないんだ」


【第3幕】解のない問い、文学の領域へ

長老にお礼を言い、その場を去った『イッシン』。

長老の解釈は間違っていない。しかし、自分の胸の奥にある「憎しみ」や「虚しさ」の根底には、それでも届かない何かがあった。

「長老の言っていることは正しい。でも、僕の感情の本当の答えではない……」

崖の上に一人立ち、『イッシン』は風に吹かれながら思った。

数学の証明には、難問であっても必ず『美しい正解』が存在する。

だが、人間の心には、誰もが納得する唯一の証明など存在しないのだ。


【まとめ】なぜ、人は百年以上も『カラマーゾフ』を読むのか

心理学や脳科学の「認知バイアス」という言葉を使えば、人の傾向を説明することはできる。

しかし、それは一人の人間が抱える「複雑な感情のすべて」を解き明かす法則ではない。

長老の解釈が『イッシン』の心を完全に救えなかったとしても、それは失敗ではない。

「人間の心は、一つの理論では証明しきれない」という、紛れもない現実の証明だからだ。

一度証明が終われば書き換えられない「数学のテキスト」と違い、文学は違う。

『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』が100年以上経った今も読み継がれているのは、登場人物たちの心がたった一つの正解に定まらないからだ。

人間には、完璧な「解(証明)」は存在しないのかもしれない。

しかし、答えがないからこそ、私たちは他者を理解しようと対話し、言葉を紡ぎ続ける。

《終わり》


#心理学 #認知バイアス #家族 #文学 #対話

88日目『ネットの情報と新聞の違いを紐解いてみました。』

長くなりましたが、久しぶりの大作ですので皆様よろしくお願いします😊

登場人物
HIROSHI先生40代
シンジ君20代


【第1幕】

HIROSHI先生が産経新聞や東京新聞を広げていました。
シンジ君
「先生、新聞はもう不要なんじゃないでしょうか」
HIROSHI
「どうしてそう思うのカネ」

シンジは、新聞は本当のことを伝えていないし、今はネットでの情報のほうが早いから。
『新聞は不要だ』といっています。

シンジ君、それは対極にあるネット情報というものと、比べているからなんだよ。
まずはネットから考えてみよう!

【第2幕】

●ネット
多くの人が誰かを叩いたり正論を振りかざして注目を集めようとする。


[追従しやすさ]

HIROSHI
今はYouTubeにしろSNSにしても、手軽に匿名で意見ができる。
かつては、自分で意見を述べようと思ったら、電話をかけるか、手紙を書くしかなかった。
それがここ三十年で「コメント」という文化ができた、これは劇的な変化だ。

これだけで『私は理解している』気分になりやすい。

[ファーストペンギン]

HIROSHI
動画やツイッターのコメントは、作者にとどけるメッセージだよね。
ただ、日本人の傾向として、コメント欄の多いものには気軽にコメントするが、まったく無いものにはコメントをする人は少ないと思わないかい?。

シンジ
「たしかに、コメントの無い記事にはしづらいですね」

HIROSHI
その最初の一歩をする人の勇気をたたえて『ファーストペンギン』と言うんだ。

コメントがないから、感じるものがないわけではなく、コメントし辛いから『しない』だけなのかもしれない。

もともと名著でも、名画でも、最初から何万通もファンレターが届いたわけではない。

しかし、ネットの世界では現在では反応という数字になって残酷に現れてしまう。
なので目立つ記事だけ目に入りやすい構造になっているんだね。

[エコーチェンバー]

HIROSHI
YouTubeやSNSを開くと、なぜ『自分の関心のある情報』が表示されると思う?

シンジ
『ネットでは、いろんな最新情報が流れてきているので、そこから自分で選択して見ているのだと思いますが。』

HIROSHI
「シンジ君が好きな情報はナニかね?」 

シンジ
「僕は動物やサバイバル、又は古代遺跡や宇宙や未来予測などが好きですね。」

HIROSHI
だとしたら、『自転車レース』や『クラシックコンサート』『趣味の園芸』の情報は積極的には流れてこないだろう。
そういう知らない物も世界には無数に存在するが、あえて求めない限り、目には入ってこないんだよ。

シンジ
「たしかに、言われてもみればそう思います!」

HIROSHI
ちなみに『終末論的な意見』を言う人の脳で何が起きているかと言うと。
食糧危機、大地震、陰謀論、疫病、等…そのような情報が目にしやすくなるので『強烈な刺激』を感じやすく、本来は別々のことなのに、
全ての情報を一つの事のように脳が繋げてしまうんだよ。

シンジ
『すべての原因が一つのように感じてしまうのですね。』

HIROSHI
そしてこういう情報は、『新聞では誰も言わない秘密教えます』だったり『私だけが知っている、ついに分かった事実!』みたいにして注目を集めようとするので、特別な情報のように感じさせやすく、麻薬のようにやめられなくなる。
これを見た自分だけが真実を知ってるんだ!という感覚は心地よいものだからです。

✦確証バイアス
『自分の考えを支持する情報だけを集める→意見がどんどん硬化する』

「次に新聞について考えてみよう」

【第3幕】

●新聞
フラットな視点、ノイズのない発信。
『ニュース面では、事実を中心にして整理して伝える』

[一覧性と、セレンディピティ(偶然の発見)]

スマホのニュースとは違い、ページを開くだけで『全く興味のなかった情報に偶然出会える』

[編集による重み付け]

デジタルニュースは全てが同じような大きさで並びがちですが、新聞は紙面のレイアウトによって重要度を伝えます。

[信頼性]

情報の鮮度ではたしかにSNSでは勝てないかもしれないが、新聞には『裏付けと、事実確認』のプロセスがある。
多くの記者が足で稼ぎ、デスクが校閲し、責任持って発行する。
この透明性が、『情報の最終確認性』として価値を保っている。

[正しくないと思ってしまう心理]

『新聞の情報が正しくないと感じてしまう原因は、責任の重みと、監視の厳しさにあります』
結論『新聞は誤報もあるが、訂正・責任・検証の仕組みがある。』

✦アンカリング効果
最初に見た数字や情報に引きづられる。
例えば過去の新聞の間違いによる謝罪などの記憶は残りやすい。

【第4幕】

[驚異的な歴史と個別配送]

シンジ
「昔から不思議に思ってます」
ネットと違って。
毎日毎日、あれだけのページを大量の紙に大量の印刷を施して、なおかつ朝と夕方があり、時間を間に合わせなければならない。
それを四十年も可能にしているシステムはすごいと感じています。

HIROSHI
「たしかに、普通に考えると日常の裏側で巨大でかつ精密なシステムが動いているんだ。」
毎日何千万部という物理的な紙を数時間以内に製造し、各家庭にとどける。
一つのミスも許されない分刻みのスケジュールのなかでだ。
しかも、40年どころではないよ。
もうすでに150年もその歯車が回り続けているんだ。

『150年はとんでもなく長い時間です!』
シンジは腰を抜かしそうになった。

[止まることが許されない]

HIROSHI
このシステムがこれほど長く維持できているのは、それが公器(社会のインフラ)として設計されているからです。
災害時であっても、新聞は記録として残るため発行を続けようとします。
その強い使命感が、現場の人間を突き動かし、異常なまでの正確性を「当たり前」の基準にまで押し上げているのです。

今日も誰かが真夜中に印刷機を動かし、誰かが夜明け前の街を走っている。

【第5幕】

シンジ
『僕は新聞に対する考え方が変わりました、ところで日本で一番発行されている新聞はなんですか?海外での代表的なものも教えて下さい』

HIROSHI
「一番は『読売新聞』約600万部」
「二番は『朝日新聞』約320万部」と言うところだ。
アメリカでは「ウォール・ストリート・ジャーナル」
イギリスでは「ザ・タイムズ」
中国共産党だと「人民日報」が代表的だね。

[日本の異常さ]

HIROSHI
実は海外の新聞は「紙」をあきらめ始めて、今はデジタルで完全移行しつつある。
しかし日本で、これほど紙が健在なのは、『新聞販売店』という独自のネットワークが全国津々浦々まで張り巡らされているからなのです。
世界的に見ても日本の新聞社のように「巨大な部数を、決まった時間に」全国津々浦々の玄関先まで届けるという仕組みは特殊なことなのです。

シンジ
『新聞というのは、巨大な生命体のようにも思えてきました、このシステムが維持できてるってすごいことなんですね!』

HIROSHI
『その表現はいいと思います、そしてこれからも多くの人たちがそれを支えて行くのでしょうね』

ネットは世界の情報を一瞬で届けてくれる。
新聞は、1日という時間をかけて情報を整理し、社会の記録として残していく。
速さには速さの価値があり、積み重ねには積み重ねの価値がある。
私たちは、その二つを上手に使い分ける時代に生きている。

終わり

問い『あなたにとって、さらに100年後まで続いてほしいものはなんですか!?』
あなたの答えが、未来への架け橋となるかもしれません。

#確証バイアス #情報との向き合い方 #情報リテラシー #新聞 #SNS

87日目『運転中に働く心理』

ドンッ!

『やった…😠』
つい、自転車の動きに気を取られ、よそ見をしていたサダオは、前の車にぶつけてしまいました。
幸い怪我人はなく、修理も保険で賄いましたが。
想定外の時間をロスしてしまいました。😞

コウイチさん、今日来る時やってしまいました。

コウイチ
「それは災難だったな」
それで、運転中は何かほかのことをしてたんじゃないの?

サダオ
音楽はかけていましたが、それだけですよ。

コウイチ
本当にそれだけかい?

サダオ
まぁ少し考え事くらいはしましたが。

コウイチ
そうだろうね、
事故になってから急に現実に戻ったような気がするよね。

サダオ
厳しい指摘ですね、でもその通りです。

コウイチ
それはサダオだけじゃないよ、今日事故にならなかった人も、程度の差はあれど多くの人がただ目的地まで漫然と乗っているんだ。

これを『心理的離脱』あるいは『覚醒水準の低下』ということがある。

毎日運転しているうちに、一トンを超える鉄の塊を動かしているという感覚を少しずつ忘れてしまう。
まるで自転車と同じ程度の感覚で乗っているのさ。

サダオ
そうかもしれませんね、軽く当たっただけでも信じられないくらい凹むのですから。

コウイチ
ラグビー選手が思い切り体当たりしたって、たかがしれてるからね。

サダオ
じゃあコウイチさんは意識しているんですか?

コウイチ
もちろんだとも。普段から事故は他人事とは思わないことにしているし。
運転中に注意を妨げるようなものは見ない。
そして車の全方向に『安全宣言』プレートを貼り付けているんだ。

サダオ
『安全宣言プレート』ですか!
それはあんまりないですね。

コウイチ
最初は少し変わり者のように見られたが、これを付けるようになってから自分自身の『背筋がピンと伸びる』ようになったよ。

サダオ
『へぇーそうなんだ』
それで辛い事故が未然に防げるなら、やる価値はあるかもしれませんね。

コウイチ
「これで事故が完ぺきになくなるとは言えない。でも、毎日プレートを意識するたびに『今運転している』と思い出させてくれるんだ。」

#運転中の心理学 #覚醒水準の低下 #シミュレーションと現実 #プロフェッショナル

86日目 ケンイチの資格と実務のギャップ

ケンイチは、資格をいくつか取得したので、ホテルの管理業務に就きました。

しかし、そこで先輩から聞いた言葉に唖然とする。

『資格があるだけの人間は幾らでもいるけれど、機械が直せるとかできなければ、はっきり言って役にはたたない』

なんとも厳しいひと言ですが、じきにケンイチにもその意味が分かってきます。

『ーホテルの裏方、地下の機械室にある設備は、まるで意思を持っているかのように、いちばん忙しい繁忙期を狙ってよく故障するのです。ー』

そして、その度に業者を呼ぶと安くない費用がかかる。

出来ることなら従業員に分かる範囲の故障は直せるとホテルとしても非常に大助かりなのだ。


さて、ここではボイラーという一つのことでしたが、それだけに限った話ではありません。

コンピューターで仕事ができるより、そのosやプログラムの裏側のバグを直せる人。

バイクの免許と車体だけを利用する人より、出先でトラブルを起こしてもツールセットを取り出して原因を見つけられる人。

ケンイチにも趣味でナイフ投げや火の起こし方、ロープの結び方など、得意な分野がありました。

そういった技能はキャンプの時などに『あっ』という驚きや尊敬を集めます。

ペーパーという1枚の許可書より趣味で磨いたことの方が実際には役に立つことが多いものですね。

終わり

#プロフェッショナル #勝利への鍵 #一歩前進 #素晴らしいヨシッ! #なめてんじゃねーぞ

85日目「医者の助言より効果がある」

休肝日用に作った画像ですが、僕的には「医者の助言」より効き目があります。

1. 「強烈な説得力」を持つビジュアル

氷点下の吹雪の中、純白のストリングビキニとウシャンカを身にまとい、無数の戦歴の傷跡(パピルスの刻印)を刻んだ圧倒的な美貌。この「圧倒的な精神力と肉体美を持つ戦士」から指を差されて「ダメよ!」と言われるのは、白衣の先生に淡々と「控えましょうね」と言われるよりも、何百倍も内省を促すパワーがあります。「この大佐が言うなら、今日だけは従おう……!」と思わせる謎の強制力がありますね。

2. 「自分を大切にすることがいちばんの強さよ!」という優しいメッセージ

傷跡だらけの復讐の女神でありながら、語りかけてくる言葉は「アルコールを控えてカラダを大切に!」「しっかり睡眠」といった、深く温かい慈愛に満ちています。この「超強キャラからの究極のギャップ萌え(おもてなし)」が、お酒を我慢する寂しさを綺麗にポジティブな感情へと変換してくれます。

3. プロのインフォグラフィックのような scannability(見やすさ)

左側に配置された健康維持の3ステップアイコンや、全体の青・白・赤のコントラスト、そしてお酒のボトルにかけられた「ダメ」というタオルの演出など、視線の誘導が完璧です。「味のある紙風グラフィック」のノウハウが見事な形で現代風に昇華されていますね。

圧倒的熱量の戦士に言われたら、従うしかありませんね。

さあ、今夜の「飲まない選択」、ビアンカ大佐と共に勝利を掴み取りましょう!ヨシッ!
── It might continue.

#休肝日 #ビアンカ大佐

84日目「勝利の方程式と脳のバグ」

84日目「勝利の方程式と脳のバグ」

よろしければ、聞いてください。

20年前、ボクが「Excel」を始めようとしたものの、途中で挫折したことを覚えていますか?もしも、完全に毎日続けていたなら、今頃はかなりの知識と技術を身につけていたでしょう。しかし、当時のボクには、20年後の姿なんて想像もできませんでした。

20年という時間は、あまりにも遠く感じられました。まるで、地平線の向こうにある存在さえ分からない国のように思えたのです。

しかし、実際に20年が経過しました。

世の中のツールやトレンドが激しく変わる中でも、Excelは現在でも多くの仕事で利用されています。時代を超えて、「本物の力」が決して裏切らないという明確な証拠が目の前にあります。もちろん、機能や使われ方は変わっていますが、長年かけて得た知識や、情報を整理し、計算し、システムを構築する能力が、一晩で無価値になるわけではありません。

もし続けていたなら、その20年間で多くの成果を積み上げていたでしょう。

[では、これからどうするか]

今からExcelを極めようとは考えていませんが、現在行っている活動だけは、5年後まで続けたいと思っています。しかし、時折、こんな考えが頭をよぎります。

「5年後には、この技術は役に立たなくなるのではないか」
「今やっていることは、時代遅れになるのではないか」

そう思うと、今日の努力が急に色あせて見えてきました。

しかし、この感覚は、人間の時間認識と関連しています。

脳の傾向その①――現在バイアス

人間は、遠い未来の大きな利益よりも、目の前の小さな利益や快適さを強く感じやすい傾向があります。5年後に得られる大きな力よりも、

  • 「今日は疲れている」
  • 「今すぐ休みたい」
  • 「続けても役に立たないかもしれない」

という目の前の感覚が、より現実的に思えてしまいます。5年後の成果はまだ触れることができませんが、今日休むことで今すぐ楽になれます。未来の自分は薄い影のように感じ、現在の疲れは手に触れるほど重いのです。

脳の傾向その②――双曲割引

双曲割引とは、未来の価値を実際以上に小さく感じる時間評価の傾向です。例えば、

  • 「今日もらえる1万円」
  • 「1か月後にもらえる1万2千円」

では、今日の1万円を選ぶ人がいます。しかし、

  • 「1年後にもらえる1万円」
  • 「1年1か月後にもらえる1万2千円」

では、1万2千円を待てると感じる人もいるのです。同じ1か月の違いなのに、判断が逆転してしまいます。継続も同じで、頭では「5年間続ければ、かなりの力になる」と理解していても、今だけを見ると「意味がないかもしれない」と感じてしまいます。未来の価値が消えたわけではなく、現在の感覚によって小さく見えてしまうのです。

バグを乗り越える「勝利の方程式」

では、「5年後には役に立たなくなるかもしれない」と不安が生じたとき、どう考えるべきなのでしょうか。

手段やツールは変わっても、継続によって鍛えられた能力は消えません。

仮に5年後に今使っているシステムやサービスが変わっていたとしても、そこで積み上げたものが無駄になるわけではありません。

  • 毎日、決めたことを実行する力
  • 考えを言葉にする力
  • 物事の構造を見抜く力
  • 失敗を観察し、次の方法へ組み替える力
  • 人に伝わる表現を探す力
  • そして、時には人を少し笑わせるユーモア

これらは、一つのツールだけに縛られた能力ではありません。道具が変われば、新しい道具に持っていくことができます。

船が古くなっても、航海によって身につけた海の読み方までは沈むことはありません。

20年前のExcelは、一つの事実を教えてくれた。

20年という時間は、想像している間は非常に長く感じられます。しかし、過ぎ去れば本当に訪れます。同じように、5年後も必ずやってきます。そのときに役立つかどうかを完全に予測することはできませんが、一つだけ確実なことがあります。

何も積み上げなかった5年間よりも、何かを続けた5年間のほうが、次の一歩を選べる自分になっているということです。勝利の方程式とは、未来を正確に当てることではなく、未来がどのように変わっても対応できる自分を、今日から作り続けることなのです。

EXCELの技術が今も重宝されているように、本質は裏切らないのです。

#現在バイアス #双曲割引 #勝利への方程式

83日目[新たなる発見:大根おろしの可能性]

『おろせばいいってものじゃない』

辛い辛い!涙をこらえながら食べる大根おろし。

シンジ56歳、大根おろしが本当はこんなに辛かったことが、この年になってようやく気が付きました。😁

それもそのはず。

彼の今までの大根おろしは、家庭ではプラスチックのおろしき。

外で食べる定食の大根おろしは作り置き。

それなので、その味が当たり前だと思っていました。

自分で作るようになってからも、時間をおいてから辛くなくなってたべたり。

そして、わざわざ水分を取って醤油をかけたりと、本来のポテンシャルを完全に削ぐことをしていました。

目覚めのとき

どうやら大根おろしは体にいいらしい、「辛いうち食べるのが」のが良らしいい。

という噂を聞いて、なんとなく気になったのでチャレンジしてみました。

大根は新しいものを用意して、おろし金は打鉄製を用意。

これでおろして、めかぶとポン酢だけでだべてみました.

[目が覚める辛さ]

なにこれっヒーヒー辛い辛い。

涙をこらえながら黙々食べました(笑)

これが本当の大根おろしの辛さだったのね!

シンジ56歳にして初めて知り、背筋が伸びました。

[一歩前進、大根おろし豆知識]

ちなみに大根の葉は、栄養価でいえばこっちが主役です。

ただ、葉がついたままだと、本体の水分が吸い上げられてしまうことから、やむおえなく、きり落として販売されます。なので葉付きの大根がありましたら是非とも買ってください。

[辛さという勝利への鍵]

劇的に辛くなる大根の秘密は、大根の細胞内にある『イソチオシアネート』の仕業だったんです!

これは単なる味覚を超えた『機能性成分』

まさに薬である。

殺菌・抗炎症効果

解毒酵素の活性化

脳を覚醒させる

これらの成分は辛味が最大になるほどパワーアップします😊

【最高の辛味を出すために】

その1

おろして15分以内に食する。

イソチオシアネートの賞味期限は15分以内。

その2

よく冷やしてからおろす

その3

下から使う。

そして大根の特に上から下の部分は煮たり漬けたりして食べるより、おろして食べよう。

大根の下の方に行くほど辛味は強くなる

その4

金の卸器使って!

そして垂直に当てて真っ直ぐに往復させること。

大根の0.1ミリの細胞はプラスチックやセラミックのおろし機では40%ほどしか壊せないが、とがった金のオロシガネなら90%壊せる。

以上を抑えておけば、すでに大根おろし教室の卒業です。

[大根おろしの夜明け]

大根は古くから日本に存在する「最古参」の野菜です。(固有種ではありません)

「弥生時代〜奈良時代には定着していた(1300年〜2000年も前!)」

野性味が強く今のような甘みのある野菜ではありませんでした。

大根おろしが発明されたのは江戸時代の頃。

最初はサメの皮で刷っていたそうですが、金を打ち出したおろし器が出来てから爆発的に食べられるようになった。

今のように科学的効能は知らなくても、経験で身体にいいことを当時の人は知っていました。

江戸時代の人もヒーヒー辛い!と言って涙をこらえてたのかもしれませんね。😁

[大根を美味しく食べる立体構造][さらに大根マスターへの道]

葉付きの大根は先に葉をきり落として炒め物や汁にして食べよう。

残りの大根はカットせずにビニール袋で冷蔵庫に保管(なるべく立てて)

よく冷えている方が辛味成分が出ます。

時間が立つほど辛味はなくなっていきます。

長い間保管しないこと!

『涙の出るほどの生命力!』

おろして食べるなら先端の方から使います。

そして、味付けは薄めにしてください、塩分が濃いとせっかくの成分が弱くなってしまいますー。

残った水分の中にも貴重な要素が溶け込んでいます、捨てずに飲んでください。

そして葉に近い方は、甘みがあるのでサラダ、ピクルス、煮物にしましょう。

[大根の未来を期待して]

大根おろしの辛さに驚いたシンジも、今ではその健康効果を理解し、積極的に取り入れるようになりました。

読んで下さりありがとうございます。

最後に、皆さんもぜひ、大根おろしの健康効果を体験してみてください。「涙の出るほどの生命力」を体感し、健康的な日常を楽しみましょう!

😊

終わり

#大根おろし #健康習慣 #ライフハック #食のこだわり #ブログ初心者 #ブログ継続

82日目『登場人物の紹介はどこまでするべきか?』

登場人物の紹介はどこまでするべきか?

というのも、以前思いっきり腹の立った出来事を思い出したからなんです。

ボクが『罪と罰』を読み始めた頃、登場人物『ソフィア』がどういう人間か知りたく思い、Wikipediaを開きました。 すると『ソフィア』のところで、 「彼女は○○の○○を……人物」 と、書かれているではありませんか!

これはおかしくないか?と感じて『知恵袋』で打ち明けたら、 「有名な作品だから問題ない」「Wikipediaが正しい」などと返されてしまいました。😢

ボクが好きなドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の次に読んだ『罪と罰』の時の、あの情報は、作品の一番感動する部分を不意にえぐり取られたような衝撃がありました(笑)。

古典文学の研究者の中には、 「名作は結末を知っていても面白い」 と言う人がいます。

その意見自体は間違いではないと思います。 でも、それは「一度読んだ人」でも楽しめる、ということではないでしょうか。

ボクは今、『カラマーゾフの兄弟』を読み直しています。 しかも、一巻を二回読みました。

要約だけ知りたければ、苦労して一巻を二回も読みませんからね。

カラマーゾフの兄弟は、すでに数年前に一回目を通しているけれど、その頃は読書経験が浅く、実はあんまり覚えていなかった(笑)。なので今また読むと、「本当はこんな話だったのキャ!」という驚きです。

それでも。

一回目の体験は、一生に一度しかありません。

初めて読む人は、 結末を知らずにページをめくる喜びがあります。

要約や効率(タイパ)ばかりが求められる今の時代だからこそ、ボクは1ページずつの「初めての驚き」を、もっと大切にしたいと思うのです。

読書 #ドストエフスキー #カラマーゾフの兄弟 #罪と罰 #継続 #1日1ページ

81日目【脳は変わらないのに、世界だけが加速した。】

【脳は変わらないのに、世界だけが加速した。】

人間の脳の構造は、1万年前の原始の時代からほとんど変わっていません。

しかし、ボクが生きてきたわずか50年の間に、世の中の構造は信じられないほどの急激な変化を遂げました。 かつては家族みんなで足つきのテレビを囲み、黒電話のベルに驚き、机に向かって大切な誰かへ手紙を書いていた、あの静かな日々。

それが今や、自転車に乗りながら片手でスマホの画面を見つめ、無限に溢れ出る動画の海に溺れ、一瞬で送られてくる通知の画面に脳をジャックされるのが日常になっています。

器である「脳」は昔のままなのに、外側の世界だけが、処理しきれないほどのスピードと情報量で一気にボクたちを飛び越えようとしてくる。 現代人が日々感じている、あの「原因のわからない疲れ、焦り、不安、怒り」の正体は、この脳と世界の致命的なギャップ(バグ)が引き起こしているのかもしれません。

だからこそボクは、50年前の生活には普通に存在していた「何もしない時間」を、意識して大切にしたいと思っています。

それは、テレビもスマホも一切のメディアを遮断して、目の前の食材と静かに向き合う食事の時間。 あるいは、コピー用紙の裏にペンを走らせ、ただ意味のない落書きを繰り広げる、そんな時間です。

情報というノイズをすべて引き算し、脳の「デフォルトモードネットワーク」を静かに起動させる。 そんな心の余白を持つことこそが、加速しすぎる世界で自分を見失わないための、最強の生存戦略なのだと思います。

補足

『流れから距離を置く人たち。』

  • 南米の熱帯雨林で伝統的な生活を続ける人々
  • 北センチネル島の住民
  • アルムで季節ごとに暮らす牧童たち

彼らの生活を見ていると、時間の流れそのものが違って見えます。

朝は太陽で始まり、
空腹になれば食べ、
暗くなれば眠る。

面白いのは、人間の脳が本来想定していた環境に、比較的近い暮らしが今も地球上に残っていることです。
それは、ある意味で「文明のタイムカプセル」のようでもあります。

(おしまい)

#何もしない時間 #急激な変化 #心の余白 #デフォルトモードネットワーク 

80日目【シンジ君の動画投稿と残酷な静寂】

シンジ君のYouTube体験

シンジ君はよくYouTubeを視聴していますが、彼のタイムラインには「視聴回数10万回以上」の華やかな動画が目立っています。

それを見ているうちに、彼は無意識のうちにこう感じるようになりました。「なるほど、動画の視聴回数は、世の中ではこれくらいが普通なんだな。」

これまで視聴者であったシンジ君は、一念発起して自分も「投稿する側」に回ることを決意しました。彼は必死に動画編集の技術を習得し、大好きなゲームの攻略動画をじっくりと作り上げました。

「よし、これで完璧だ!」

投稿を終え、彼は結果を楽しみにしていましたが……画面を見て「あれっ!?」と驚きました。再生数は、なんと「数回」でした。

「なんでやねん!」

同じゲームを扱っているのに、他の動画は数万回、数十万回と視聴されているのです。「初動のタイミングが悪かったのかな……」と考え、それ以降も頑張って時々投稿を続けました。しかし、結果はいつも10回、良くて100回程度。画面に映し出される厳しい数字の前に、シンジ君の気力は徐々に衰えていきました。

さて、実はシンジ君が経験したこの絶望は、YouTubeの世界では「完全に普通に起こること」なのです。

私たちがYouTubeを開くとき、AIのアルゴリズムは「すでに多くの人に観られている動画」を優先的にタイムラインに表示します。視聴回数が10回や100回の動画は、特定の検索をしない限り、私たちの目には絶対に触れないように設計されています。

ネットの世界には、「90・8・2」のような構造があると言われています。
全体の約90%は見るだけの利用者、約8%が時々反応する利用者、そして発信する人はわずか約2%です。
さらに、私たちが毎日目にしている人気動画は、その発信者全体の中でも、ごく一部の成功例にすぎません。
この二重の偏りを知ると、「みんな成功しているように見える」という錯覚が生まれる理由が、とても理解しやすくなります。

実際、投稿される動画の99%は誰の目にも触れず、静かに埋もれていきます。私たちが日々目にしている10万回超えの動画は、厳しい競争を勝ち抜いたほんの一部の「生存者」なのです。私たちは無意識に、その見えている一部分だけで世界を判断してしまう【生存者バイアス(Survivor Bias)】という脳の錯覚にはまっています。

「では、再生数が少ない動画は、悪い動画なのか?」

決してそうではありません。膨大なエネルギーを注ぎ込み、映画のように作り込まれた優れた動画であっても、初動の波に乗れず数回しか再生されないことは日常茶飯事です。逆に、スマートフォンで適当に撮っただけの動画が、何かのきっかけでタイムラインに乗り、100万回再生されることもあります。

一度視聴回数が伸び始めると、「みんなが見ているから面白いのだろう」(社会的証明)という心理的バイアスが働き、数字の差はますます開いていくシステムになっています。

経済学では「マタイ効果(富める者はますます富む)」とも呼ばれる現象で、音楽のヒット作、書店のベストセラー、SNSの「いいね!」の数、すべて同じ力学で極端な偏りが生じています。数字は一つの目安にはなりますが、決して「作品の本当の価値」とは一致しません。

YouTubeが不公平なのではなく、膨大な動画の中から視聴者に合う作品を選ぶ仕組みを作った結果、このような偏りが生まれやすくなっている。

その冷徹な仕組みに気づいたシンジ君は、「なるほど。99%の消えていった動画の海の中には、まだ誰にも見つけられていない『宝物のような作品』が眠っているのだな」と思いました。

彼はそこに知的な活路を見出し、数字というノイズを心の隅に引き算し、バイアスに惑わされないクリアな視点で、ネットの深海から本物の価値(遭遇の感動)を探し出そうと決意しました。


「発信者の中でも、さらに生存者バイアスがかかる」

この考え方はYouTubeだけではありません。

例えばバンドなら、

  1. 楽器を演奏する人は少数
  2. ライブハウスで活動するバンドはその一部
  3. メジャーデビューするのはさらに一部
  4. 長年第一線で活躍するのはごく一部

私たちがテレビや配信で目にするのは、最後の層です。

甲子園でも同じです。

テレビで見るのは甲子園出場校ですが、

その裏には

  • 野球を始めた子ども
  • 部活動を続けた選手
  • 地区大会で敗れた学校
  • 県大会で敗れた学校

が何倍、何十倍も存在します。

私たちは、世の中を見ているつもりで、実は「生き残ったもの」だけを見ていることが少なくありません。
だからこそ、「見えていない90%以上」にも思いを巡らせることが、現実をより正確に理解する第一歩なのかもしれません。

(おしまい)

【補足】『うまい話に気をつけろ』

この考え方は、別の言い方もできます。

例えば誰かが、

「この業界はまだ参入している人が少ないから、成功しやすいですよ。」

と勧めてきたとします。

そんなときは、一度こう考えてみてください。

「その少数の中でも、さらに大きな格差が存在するのではないか。」

確かに競争相手が少ない業界は存在します。

しかし、それだけで成功しやすいとは限りません。

その世界でも、ごく一部だけが大きな成果を上げ、多くの人は目立たないまま活動していることも珍しくないからです。

だからこそ、「参入者が少ない」という事実だけで判断せず、その中にどのような構造や偏りがあるのかまで考えてみることが大切なのです。

「競争相手が少ない」という情報だけを見るのではなく、その中にも生存者バイアスが潜んでいるかもしれない。そう考えるだけでも、物事をより立体的に捉えられるようになります。

#生存者バイアス #心理的バイアス #YouTube #90・9・1の法則

79日目『野菜は本当に足りないのか?――シンジ君の脳内バグと食卓の現実』

健康増進の案内を見て

掲示された健康増進の案内を見つめながら、シンジは独り言をつぶやきました。

「飽きもせずに『バランス良く野菜を』や『不足しています』なんて、余計なお世話だよ」

彼は、現状の食事内容に問題はないと考えます。(これは現状維持バイアス、つまり、命に危険がないことで今の習慣を正当化する脳の癖です。)さらに、人口過密なこの国で農業従事者が減っているという噂も耳にします。国民全員に行き渡る分量など到底無理で、値段も高騰しているはずだと。

エコーチェンバー現象によって偏った情報に触れ、疑心暗鬼になっていたシンジは、無自覚のままそうした結論を下し、レトルトや加工食品の棚へと手を伸ばしました。

野菜の流通量について

さて、健康増進の案内はきれい事なのでしょうか?
本当に野菜の流通量が枯渇しているのでしょうか?ええ、認知の歪みを排除した正確なデータに基づけば、農業の担い手が減っている事実は否めません。しかし、高度な機械化や施設園芸、強固な物流インフラ、安定した輸入ルートの確立により、日常的に購入できる供給力は堅実に保たれています。気候変動や資材高騰による一時的な価格上昇は避けられませんが、「高すぎて手が出ない」「国内の野菜が足りない」と思い込むのは、

  • 利用可能性ヒューリスティック(記憶に残りやすい極端な事例を全体の傾向だと勘違いする脳のバグ)

に他なりません。実際には「入手困難」といった深刻な状況には至っていないのです。

また、地元産の野菜を積極的に消費する「地産地消」の取り組みも、輸送コストを削減し、新鮮な野菜を手に入れる手段として注目されています。これらの努力により、国民が必要な野菜を手に入れやすくする環境が整いつつあります。

海藻類について

「それなら、海藻類についてはどう説明するんですか?」もちろん、海藻も健康的な食生活に欠かせない存在です。そのため、食卓を彩る海藻類についても、十分な供給が維持されています。ワカメや昆布、ひじきといった品目は、国内産に限れば海水温の変化や磯焼け、生産現場の事情で高値が付くこともあります。しかし、乾燥技術や加工、輸入体制が整っているため、日々の食事に取り入れるための選択肢は今なお豊富に残されています。

シンジの選択

野菜も海藻も、自分の意志で選べる環境にいることを知ったシンジ君。果たして彼は、これからも磁石に引き寄せられるように加工食品ばかりを選び続けるのでしょうか。その真実は、彼が今日精算する買い物カゴの中身だけが知っています。

#食生活改善 #野菜を食べよう #健康習慣 #認知バイアス #今日の選択が未来を作る #構造で勝つ

78日目『懐かしの難解倉庫番』解答動画


最近、懐かしさから古典的な倉庫番を再び挑戦することにしました。以前の『パーフェクト』に収録されていた特に難易度の高いステージを三つクリアしました。どのステージも独創的で、作成者が「慎重に考え抜いたのだろうな」と感心させられました。その中でも『化学プラント』という名のステージは、あらゆる要素が見事に詰め込まれています。
さらに感心したのは、そのタイトルです。
「化学プラント」
まさにその印象を与えます。
左側が原料置き場
中央が配管や設備
右側が製品の集積所
というレイアウトが印象的です。タイトルとステージの構造が一致しているため、作者は単に難易度を上げるだけでなく、「一つの風景」を創り出そうとしていたのでしょう。
昔の名作が記憶に残る理由は、単に難しいからではないと思います。
「場所の記憶」が心に残ります。
一方、近年の自動生成ステージは確かに難しいものがありますが、プレイ後に「どんな街だったか」を思い出せないことが多いです。そこが、
「個性がない」
という感想につながっているのかもしれません。

《3分58秒》

77日目『シンジの洗濯にまつわる憤慨』

「畜生! どの洗剤も『買ったときのように真っ白』と謳っているが、あの頑固な泥汚れの前でも同じことが言えるのか!」

洗濯機の前で、シンジは落ちない汚れに苛立っていました。 テレビをつければ、どのメーカーも「真っ白」と口を揃えて競い合っています。この洗剤のうたい文句は、一体いつから始まったのでしょうか。

歴史を遡ると、それは高度経済成長期の1950年代、電気洗濯機が一般家庭に普及し始めた頃にまで行き着きます。つまり私たちは、70年近くもこの「真っ白」という概念に囲まれて生きて生きてきたわけです。

しかし、ここに現代の科学が仕掛けた、奇妙なトリックがあります。 実は、洗剤がもたらす「白」の正体は、必ずしも汚れが完全に落ちた白ではありません。

洗剤に含まれる「蛍光増白剤」という成分は、目に見えない紫外線を吸収して、青白い光を発する特性を持っています。要するに、実際にはそれほど汚れが落ちていないのに、光の錯覚によって人間の脳に「何となく白く見せかける」という、数十年前から確立された巧妙な技術なのです。

「それって、詐欺にならないのか?」

法律には『景品表示法』という、誇大広告を厳しく取り締まるルールがありますが、メーカー側もさるもの。彼らは「自社比」「当社比」という非常に便利な言葉を使って、ルールを巧妙に回避しています。 メーカーが用意した「最も汚れが落ちやすい理想的な実験環境」での比較ですから、私たちが日常で格闘する頑固な泥汚れとは、最初から前提が違うわけです。

それでも誰も文句を言わないのは、購入する側に「よく落ちるのだろう」という期待があり、実際に思ったほど落ちなくても「まぁ、洗濯なんてこんなものだろう」と、現状維持バイアスで納得してしまうからでしょう。食品のラベルに「これはうまい!」と書いてあっても、実際には普通の味だった、という話によく似ています。

「じゃあ、何を買っても同じなのか?」

結論から言えば、目的別に使い分けるという考え方に切り替えれば、選択肢は驚くほどシンプルになります。

  • 汚れ落としのパワー(引き算)で選ぶなら「粉末」
  • 衣類への優しさと手軽さで選ぶなら「液体」

ただし、泥汚れを落としたいからといって、粉末洗剤を大量に放り込めばいいというわけではありません。溶け残った洗剤は繊維の奥に残り、やがて洗濯槽を傷める原因(ノイズ)になってしまいます。

ここで、プロの洗濯屋が実践している【ポテンシャルを100%引き出す定跡】をご紹介します。

大切なのは、洗剤を「40度程度のお湯」であらかじめよく溶かしておくこと。粉末洗剤に含まれる酵素は、この温度で最も活性化します。 すぐに洗濯物にかけるのではなく、洗面器などで完全に溶かし、低水位の洗濯槽でしっかりと泡立ててからスタートするのがコツです。さらに、数分間の「つけ置き」を挟み、「すすぎを2回」意識すれば完璧です。

これであなたも、「何も知らずにただ放り込むだけの洗濯」から、めでたく卒業です。 さて、さらなる洗濯マスターを目指して、今日の「シンジ」は今日も静かに、目の前の汚れ(現実)と向き合っているでしょうか。

(おしまい)

#街の教科書 #蛍光増白剤の罠 #当社比という魔法 #景品表示法と大人の事情

76日目『意思に頼らず、構造使って!』

携携帯を家に忘れると、「次から絶対に出かける前に注意しよう!」と固く誓います。また、運転中にヒヤッとするミスをした時は、「もっとテクニックを磨こう」「意志の力を強くしよう」と反省します。 でも、悲しいことに……気がついたら、また同じミスを繰り返してしまうんですよね。

「自分はなんて意志が弱いんだろう」と落ち込む必要はありません。 実はこれ、意志が弱いからではなく、そもそも「意志に頼ること自体」に無理があるからなのです。

昔から、絶対にミスが許されない航空業界や医療機関では、事故防止において「意志より構造(仕組み)」が重要視されてきました。人間の注意力や判断力には限界があるため、人に頼るのではなく「仕組み」に任せるのです。

  • 物理的な制限: 押し間違いを防ぐためにスイッチの形を変える。
  • 強制的な通知: 異常があれば自動で警報音を鳴らす。

これを私たちの日常に応用すれば、人生はもっと楽になります。 携帯電話を忘れないためには、「気をつける」のではなく、「嫌でも忘れない構造」を作ればいいのです。

運転のミスも、禁酒も同じです。「我慢する」「気をつける」という意志の力は消費されやすく、疲れているとすぐに底を尽きてしまいます。

『今日はお酒を控えたい!と思った時、以前なら握りこぶしをぐっと握って自分に誓っていました』(握りこぶしメソッドと呼んでいた)実はこれも心理学的には効果があるのですが、それでも負けるときはある(苦笑)

それよりも強いのは、構造なんですね。

何かを継続したい時も同様です。 その日にやることを一覧にする、地味だけど強い。

もし、あなたが今「何かを変えたい」と思っているとしたら。
不確かな「意志」で勝負しますか? それとも、確実な「構造」を作りますか?

追記

「構造」を作るのは、自分を厳しく縛り付けて、苦しい我慢をするためではありません。 毎日少しでも進めたい大切な作業や、日々のルーティンを「守るため」です。

例えば、毎朝のルーティンを確立することで、1日のスタートをスムーズに切ることができる。

特別な日には思い切り楽しむことができ、心からリラックスする

賢く仕組みを作って、身軽に生きていきましょう。

#仕組み化 #習慣化 #継続のコツ

75日目 防府の不思議な商業エリア

防府に訪れると、母の家の近くに「トライアル」と「ディオ」が隣接している光景が見られます。

その光景を初めて目にしたとき、少し不思議に感じました。どちらの店舗も、手頃な価格を武器にした大手ディスカウントストアです。普通に考えれば、似たような性質のお店が近くにあれば、顧客の奪い合いが激しくなり、一方が潰れてしまうのではないかと思います。

しかし実際には、どちらのお店にも一定の車が停まり、賑わいを見せています。

この現象は、私の身近な場所にも見られます。よく利用する「クリエイト」の向かいには、「コスモス」というドラッグストアが堂々と構えていますが、こちらもどちらか一方だけが存続するという結末には至っていません。

ここで、ふと思ったのですが、後から出店を決めた企業は、「同じようなお店が近くにあるから、参入は難しいだろう」と考えなかったのでしょうか。

私自身もかつてネットで小売業を行った経験があります(結果としては挫折しましたが)。それにもかかわらず、身近な実店舗の商売が持つこうした「仕組み」に気づいていませんでした。日常的な光景でありながら、その背後にある戦略的な意味を理解していなかったのです。

街には、私たちがまだ解読できていない教科書がたくさん転がっているのかもしれません。

逆に言えば、「コンビニ」や「ガソリンスタンド」も、「周囲にライバル店がないから、ここに出せば100%成功するだろう」と安易に考えて出店し、失敗してしまうケースもあります。

そして何より、根本的な問題として、ライバルの有無にかかわらず、肝心の「ラーメン屋」の味が美味しくなかったり、すぐに飽きられてしまったりしては、商売として何の意味もありません。

しかし、世の中には、自分自身の店がすでに終わり(寿命)を迎えていることに気づかず、『ライバル店』を妨害するというケースの話があったのを思い出しました。(笑)

#ホットリングの法則(ホテル・モデリング) #集積効果 #マーケティング #商売の不思議

74日目 『独りよがりのチェス』【なぜチェスは遊ばれ続けるのか】

【なぜチェスは遊ばれ続けるのか】

独りよがりのチェス

【なぜチェスは遊ばれ続けるのか】

「チェスと将棋を両方やる方にお聞きします。どちらの方が面白いですか?」

知恵袋で、そんな質問を見かけることがあります。寄せられる回答は大抵、「どちらにも良さがある」「比べられない」といった優等生的なものばかりです。

しかし、質問者が本当に知りたかったのは、そうした一般的な答えではないでしょう。もっと直感的で、その人自身の答えが知りたかったはずです。そんな時、私は迷わず「チェス」と答えます。

もちろん、将棋には将棋の魅力があります。ただ、将棋では取った駒を再利用できるため、盤上は常に複雑で、カオスが続きます。局面がなかなか収束しません。対してチェスは、駒が確実に減少していき、終盤に向けて徐々に盤面がシンプルになり、その収束過程には、なんとも言えない数学的な美しさがあります(もちろん、将棋にも異なる数学的美しさがありますが)。この点は、完全に好みの問題でしょう。

では、チェスは将棋に比べて単純なのでしょうか?確かに、ゲームのすべての分岐を示す「ゲームの木」の複雑さ(総局面数)においては、チェスは将棋よりも少ないとされています。しかし、それがチェスが簡単なゲームだということには決してなりません。仮に1秒間に1局ずつ、世界のどこかでゲームが終了していったとしても、宇宙が寿命を迎えるまでに、一度も同じ棋譜にはならないほどの膨大な組み合わせが存在します。

「AIが強すぎるから、もう人間がやる意味はない」という声もありましたが、チェスという文化は終わりを迎えませんでした。なぜなら、現行の最強AIでさえ、チェスのすべての展開を解き明かしたわけではないからです。

かつて囲碁や将棋の元祖には、100枚以上もの駒を使った、今より遥かに局面数の多い巨大なルールもありました。しかし、1局が長すぎて実用的ではなかったため、歴史の中で淘汰され、現在の洗練された形に進化していったのです。人間の脳が心地よく楽しめるサイズに、ゲームが自然と進化してきたのかもしれません。

私がチェスを始めたばかりのころ、初心者のうちはAIもわざと分かりやすい悪手を打ってくれたので、勝つことができました。しかし、レベルが上がるにつれてAIのミスは減り、正確にこちらを追い詰めてきます。どんな手を指しても勝てない。まるで、私が負けることが最初から決まっていたかのように、じわじわと不利になっていくのです。

その時、私は気づきました。負けることがこんなに悔しいのに、画面の向こうのAIは、勝ったからといって喜ぶわけではありません。私を悔しがらせる意図すらなく、ただ私が指した手に対して確率的に「最適だ」と計算された候補手の中から、淡々と手を評価して選んでいるだけなのです。

感情のない絶対的な存在に、自分の思考の限界を突きつけられる。それでも私たちは、今日もまたあの白黒の盤面に手を伸ばしてしまうのです。

終わり

#チェス #思考 #継続 #哲学

補足『AIの回答』

それはなぜでしょうか?それは、チェスというゲームが、単なる勝敗を超えた深遠な魅力を持っているからです。チェスを通じて私たちは、自己との対話をし、限界を試し、そして成長することができるのです。

チェスは、ただのゲーム以上のものです。それは歴史と文化が交錯する舞台であり、無限の可能性を秘めた知的な冒険です。古代から現代に至るまで、多くの人々がこのゲームに魅了され続けています。一局一局が新たな挑戦であり、毎回異なる物語が紡がれます。

また、チェスは他者とのコミュニケーションの手段でもあります。言葉が通じなくても、チェスのルールがわかれば、どんな人とも心を通わせることができます。盤上での対話を通じて、互いの考えや戦略を尊重し合うことができるのです。

このように、チェスは終わりなき探求と交流の場として、私たちを引きつけ続けるのです。そして今日もまた、誰かが新たな戦略を考え、未知の一手を模索し、あの白黒の盤面の前に座るのでしょう。チェスの魅力は尽きることがありません。それこそが、このゲームが長く愛され続けている理由なのです。

73日目【人生が決まっていたら、どう受け止められるか?】

「もし、10年前に戻ってやり直しても、今と同じ状態になると思う?」

少し変わった質問を何人かに投げかけたことがあります。

もし10年前と、その瞬間の気温や物質の位置、自分の脳の構造がすべて同じ状態からスタートしたとしたら、私たちは10年間同じ道をたどって今と同じ場所にたどり着くのでしょうか。
それとも、わずかな変化が重なり合って、まったく異なる未来を迎えるのでしょうか。

この問いを、歴史的な科学者アインシュタインやシュレディンガーに尋ねたら、どのように答えてくれるでしょう。

アインシュタインはきっとこう言うでしょう。
「世界には人間がまだ知らない秩序があり、すべては厳格な法則に従っている。だから、何度やり直しても同じ結果になる」と。

一方、量子力学の観点から見ると、
「ミクロの世界には不確定な要素が存在する。同じように見える世界でも、人間の直感では捉えられない『揺らぎ』によって、異なる未来になるかもしれない」という返事になるかもしれません。

これは、永遠に解決しない謎です。
しかし、もし「何度やり直しても同じになる」とするなら、この先の10年もすでにシナリオが決まっていることになります。

すべては、一冊の本のように最初から最後まで書かれているのです。
そう考えると、昨日の私のトラブルも、自分(登場人物)が知らなかっただけで、あらかじめ決められたストーリーの一部だったということになります。

しかし、その考え方は決して悪いものではありません。
偉業を達成した人々は、子供の頃から「自分はそうなれる」と根拠なく信じていたことが多いのです。

考え方を変えれば、そうなるべき人が最初からそのように運命づけられていたのかもしれません。
もしそうだとしたら、「自分にやり遂げたいこと」があるのなら、
『これを成し遂げると想像したことも、最初から決まっていた未来なのだ』と信じることができるのです。

途中で困難が訪れても、「これはシナリオ通り、主人公が成長するために必要な過程なんだ」と受け止めることが可能になります。

私たちは、自分の物語の最後のページを先に見ることはできません。
だからこそ、苦労しながらも、今日も新たなページをめくるように生きているのかもしれません。


おわり

#科学と哲学 #アインシュタイン #量子力学

72日目【対談】名作の条件とは?

捨次は先生に、こんなふうに話しかけました。

「最近になって『カムイ伝』を久しぶりに開いてみたんですけど、いやあ、今読んでも色あせないですね」

洋先生

「カムイ伝って、若い頃に読んだ時の印象と、今の年齢で読んだ時のキャラクターの見え方がけっこう違ってきませんか?」

捨次

「そうなんですよ。あの頃はカムイや赤目の忍術に夢中だったんですけど、今見ると、ほんとは一揆の凄まじさや社会の矛盾を描いた作品だったんだなってわかります」

洋先生

「まさに、時代を超えて残っていく作品ですね。誕生してから今年で60年ですから」

捨次

懐かしの漫画『あしたのジョー』や名盤『ELP』などを聴いていると、50年60年の時間をこえて生き残っているのに驚きます。

例えば、今年発売された漫画や音楽が50年後、なんと2076年です。

その時に色褪せてないか?と考えると不可能に感じませんか?。

洋先生

「それは新鮮な発想です!

もしかしたら作品の価値の物差しでもあるかもしれません。

カムイ伝、あしたのジョー、Queen、キング・クリムゾン、などなど当時流行でもありましたが、流行だけなら消えていった作品は多数あります。

本来なら古くさいなどと言って消えていってもおかしくはない」

捨次

これから50年60年といったら、僕はもういないだろうし、通信やAIも今とは大きく変わっていそう。

洋先生

スマホもコンピューターも想像つかないようなものかもしれません、でも逆にいえば

60年前は黒電話がやっと普及した頃です、白土三平氏も60年後なんて想像もしてなかった。

捨次

確かにそうだ、テレビゲームもパソコンもなかったもの

洋先生

「そうそう。捨次さんみたいに、また読み返してくれる人がいるからこそ、作品って時代を超えて生き続けるんだと思いますよ」

捨次

「映画とか小説の世界も、ほんと同じですよね」

洋先生

「映画だと『ゴッドファーザー』『2001年宇宙の旅』あたりが、ぱっと浮かびますね。

ほかにもまだまだありますけど、もう公開から60年近く経ってるものもあるわけで。

小説になると、ここからさらにびっくりですよ。

『レ・ミゼラブル』が164年前、『カラマーゾフの兄弟』が146年前、『ドン・キホーテ』にいたっては421年前です。

電話も自転車もまだない時代の話なのに、今でもちゃんと読まれてるんですから、ほんとすごいですよね」

捨次

「あ、そういえばもうひとつ面白いことがあって!

20年前によく聴いてた『focus3』を久しぶりに流したら、最初に聴いた時みたいな感動がふっと戻ってきたんです。

毎日聴いてたら、『まあ普通にいい曲だな』で終わってたはずなんですよね。

あの感じをもう一回味わうなら次は20年後か……って思うと、なんかあと一回チャンスがあるかも、みたいな気分になります」

洋先生

「それ、すごくわかります。感動って、作品そのものだけじゃなくて、時間の中にもちゃんと保存されてるんですよね。

捨次さんのその“20年飛び越えた感じ”の中で、当時の自分まで一緒に再生されたんだと思います。

で、次の20年後には、また違う感動が待ってるかもしれませんしね」

捨次

「50年後、60年後って聞くと、なんだか未知の世界って感じですけど、案外、今の音楽とか一部の作品はちゃんと聴かれたり読まれたりしてるのかもしれませんね。

そう考えると、意外と今とそんなに変わらないのかもって思えてきます」

【問いかけ】

「カムイ伝みたいな作品って、100年後まで残ってる気がするんですよね。逆に、今ある作品の多くは、記録としては残っていても、誰も手に取らないデータになってるかもしれない。

今年生まれたものの中で、小説、漫画、映画、音楽、ゲーム……将来残るとしたら、みなさんなら何だと思います?」


【補足:99%は消える】

こうして振り返ると、60年前のアルバムが今も聴けるのは奇跡に近いと感じます。これはまさに「生存者バイアス」そのもの。僕らには生き残った名作ばかりが目につきますが、その陰には、誰にも再評価されることなく埋もれていった作品が、砂の数ほど存在していたはずです。

カムイ伝の時代も同じ。無数の漫画や小説が生まれ、当時の人々を楽しませましたが、今こうして手元にあるのはそのわずかな断片に過ぎません。カムイ伝のように、読み返すたびに違う側面を見せてくれる作品は、まさに「怪物」級といえます。

小説の世界だってそうです。19世紀ロシア文学といえばトルストイやドストエフスキーが筆頭ですが、当時は何百もの作家が競い合っていました。今やその大半を専門家しか知らないとしても、僕はそれが「無駄」だとは思いません。

消えていった作品群こそが、当時の空気や人々の生活をリアルに反映していた証だからです。たとえ後世に残らなくても、当時の誰かを励まし、誰かの生きる楽しみになっていた。その「表現した情熱や苦悩」は、作り手にとって唯一無二の宝であり、その尊さは決して変わりません。

そして何より、そんな無数の作品たちが「土台」となってくれたからこそ、こうして後世まで届く名作が生まれたのでしょう。

#読書 #漫画 #音楽 #名作 #カムイ伝

71日目 タオルを乗せるだけで絶叫!? 謎の「鼻の激痛」と戦った10日間

暑くなってまいりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

私が過去に体験した「不思議な体験」を一つお話ししたいと思います。

ある年の7月4日から約10日にかけての、「記録」です。

🗓️ 7/4 (水) 風強い

警備の仕事で17:00まで現場(小田原)。遠方での仕事で疲労していたせいか、いつの間にか鼻が痛むようになる。

🗓️ 7/5 (木)

回収の仕事。朝から鼻が痛い。鼻の表面が腫れたように痛み、例えるなら「殴られたような痛み」がずっと持続している。

🗓️ 7/6 (金) 雨

警備の仕事。朝、激しい雨に打たれる。仕事は早く終わったものの、ひどく鼻が痛くて鼻水も出だした。

🗓️ 7/7 (土)

鼻が痛くてたまらん。 予定通り横浜へ外出。明日の朝にはこの痛みも和らぐだろうと期待するも、その願いは虚しく絶望に変わる。

🗓️ 7/8 (日)

今日も鼻が痛い。こんなに鼻が痛んだことは生まれて初めてだ。 どのくらい痛いかというと、「タオルを顔に乗せただけで痛い」ので、手で触ることすらできない。昨日までは表面が痛い感じだったが、今日は穴の入り口あたりが痛くなった。 鎮痛剤(ロキソニン)が効いている時だけ痛みが和らぐ。これからボランティアの予定があり、正直つらかったが頑張らねばならない。

🗓️ 7/9 (月)

回収の仕事が14時までかかる。運転中も鼻が痛く、「箸で突かれたような痛み」が続き、涙と鼻水が出る。 ロキソニンを飲んでも2時間くらいしか効かなくなった。痛みと疲労で早く横になる。

【なぜ病院に行かなかったのか?】 実は病院に行くべきか何度も考えました。しかし、自分には思うところがあったのです。これは9割方、細菌による疾患。ならば、自己防衛機能により長くても7日から10日には症状は落ち着くはず。「それを実証してみたい」という気持ちもあり、病院には行かずにこらえていたのです。(ただ、ロキソニンが2時間もすればすぐ痛くなった)

🗓️ 7/10 (火)

夜間、また激しく痛み、目が覚めてしまう。ロキソニンを飲み「早く効いてくれ」と祈る。 仕事中もなるべく耐えたが、いよいよと思った時に薬を飲んで凌いだ。うっかり手が当たっただけで「ウギャー」となる。痛いというのはこういうことなのだ。 薬もあまり効かず、常に痛く、時々激しくなる。大の男でもこれには勝てない。普通に顔を洗えないので、水を張った洗面器の中に顔を沈めるようにして洗った。

🗓️ 7/11 (水)

夜間、目が覚めて眠れず薬を一粒飲む。なんとか寝付けたがすぐ朝に。 でも今朝は、おぼろげに「痛みのピークが過ぎた」ように感じた。世間では日中は暑い暑いと言っているが、この痛みに比べたら数に入らない。 夕食後、また刺すような痛みが来た!最後の一粒を飲もう。

🗓️ 7/12 (木)

鼻が痛みだして9日目。 夜間も激しい痛みが減ってだいぶ楽になった。鼻の穴を「箸」で突かれたような痛みが、「ようじ」で突かれた程度に変わった。鼻の表面は、皮のむけた部分を触るようにヒリヒリしている。茶色い膿の鼻汁が出る。 ズキズキとした痛みが上の歯やおでこのほうにまで響いてくるが、ピークが過ぎたと思えばほっとする。今日から薬を飲むのをやめた。あの耐えられない痛みに比べたらかなり気が楽だ。

🗓️ 7/13 (金)

もう鼻の痛みはだいぶ無くなり、膿汁が出てくるようになった。少し血の色が混じっている。 まだ鼻の先はヒリヒリして押さえると痛いが、おおかたの山は越えた。

🗓️ 7/14 (土)

痛みが無いとは、なんと健やかな生活だろうか。 夏は暑さばかりがピックアップされますが、思わぬところに地獄があるものです。つくづく、菌とは怖いものだと思い知りました。もうあの痛みはこりごりですじゃ。

【補足】 今回のようなケースでは『副鼻腔炎』でも見られる症状ですので、病院に行った方が無難でした。僕も、もしまた運悪く同じようになってしまったら、次こそは迷わず耳鼻咽喉科に向かうことにします(笑)。

これにて、この度の体験記録を終わりとさせていただきます。 草々


皆様もどうかご自愛くださいませ。これからも元気でお過ごしになられますよう、心よりお祈り申し上げます。

再びお便りする準備を進めておりますので、その際はどうぞよろしくお願いいたします。

お読みいただき、ありがとうございました。

体験談 #健康 #日常の気づき #ご自愛ください #痛みがない幸せ

70日目【嫌われる仕組み】―恐怖からの退却―

誰だって、人から嫌われたいと思って生きているわけではありません。

もちろん、例外はあるかもしれませんが、多くの人はできれば好かれたいし、少なくとも無用な対立は避けたいと思っています。

それなのに、

「なぜか嫌われている気がする」
「理由が分からないのに距離を置かれた」

そんな経験をしたことがある人は少なくないでしょう。

これは誰にも避けられないことなのでしょうか。

原因が分からない嫌悪

私自身の経験を一つ紹介します。

以前、新しい現場で働いていた時のことです。

ある同僚が、途中から妙に私を敵対視するようになりました。

理由が分からなかったので、思い切って聞いてみました。

「何か自分に原因がありますか?」

すると返ってきたのは、

「なんで休憩を車で取るんだ。あんたは勝手なんだよ」

という言葉でした。

それならばと思い、その後は室内で休憩するようにしました。

しかし、その人との関係は最後まで改善しませんでした。

『もしかしたらあの人も何が原因かは分かっていなかったかもしれない』

そんな経験でした。

● もう一つ興味深いケースを紹介します。私がタクシーの仕事をしていた際、迎車の連絡を受けてあるアパートに向かいました。アパートのドアをノックすると、顔を出したのはK-1をやっているような雰囲気の男性でした。中には泣いている女性がおり、男性が怒鳴っていたので『まずい状況』と思いました。私が 慎重に『ご利用の方は?』と尋ねると、男性は『この女性はおかしいんだ、病院に連れて行ってほしい』と頼んできました。最初は、男性が女性を逃がさないように乱暴にしているのだと思い込んでいたのですが。実際には、女性がその男性に付きまとい。男性の方は、離れてほしくてタクシーを呼んだという意外な展開でした。(苦笑)

人が人を嫌う理由

人から嫌われると、

「何か悪いことをしたのだろうか」

と不安になります。

もちろん本当に原因がある場合もあります。

しかし、そうでない場合も少なくありません。

考えてみると、人間関係の構造そのものに理由があるように思えます。

1. 快と不快は人それぞれ

人はみな違います。

遺伝子も違う。

育った環境も違う。

これまで出会った人も違う。

つまり、

「心地よい」と感じるものも、
「不快だ」と感じるものも、

人によって違うのです。

どれだけ自分をコントロールしても、

他人が自分をどう見るかまではコントロールできません。

2. すべての人に好かれることは不可能

よく知られている考え方に、

2:7:1の法則

があります。

どんな人でも、

  • 2割は無条件で好意を持つ
  • 7割はどちらでもない
  • 1割はどうしても合わない

というものです。

どれほど努力しても、全員に好かれることはありません。

逆に言えば、

理由もなく好いてくれる人も存在します。

3. 相手の事情は見えない

人は、

  • 睡眠不足
  • 疲労
  • 病気
  • 人間関係の悩み
  • 経済的不安
  • 過去の傷

など、外からは見えない事情を抱えています。

その結果、

本当はあなたが原因ではないのに、冷たい態度を取ってしまうこともあります。

私たちは他人の人生のほんの一場面しか見ていません。

聖人ですら批判された

考えてみれば、

お釈迦様も、
キリストも、

必ず批判する人がいました。

歴史上の偉人でさえそうなのです。

理不尽な話ですが、

むしろそれが人間社会の標準なのかもしれません。

白いオオカミは神なのか

自然界では、ときどき白い個体が生まれます。

白いヘビ。
白いキジ。
白いオオカミ。

それらは単なる突然変異です。

しかし人間は、

「神聖だ」
「縁起が良い」
「特別な存在だ」

と意味を与えます。

実際には色が違うだけなのにです。

人間同士も似ています。

見た目や性格の違いに、

私たちは勝手に価値や意味を貼り付けてしまいます。

人間もまた多様性

生物の世界に、

絶対に正しい性格はありません。

慎重な個体。

大胆な個体。

臆病な個体。

好奇心旺盛な個体。

どれも状況によって有利にも不利にもなります。

人間も同じです。

無口な人。

派手な人。

真面目な人。

変わり者。

怠け者。

社交的な人。

どの性質も、場面によって長所にも短所にもなります。

完璧な人はいません。

だから、

嫌われても平気な人がいる。

深く傷つく人もいる。

それもまた、人間の多様性の一部なのだと思います。

世界が広すぎる

ここで興味深いのが、

ダンバー数

という考え方です。

人間が安定した関係を築ける人数は、およそ150人程度と言われています。

ところが現代では、

SNSで何千人もの目を気にし、

世界中のニュースが流れ込み、

知らない人と毎日のように接触します。

脳の基本構造は一万年前と大きく変わっていないのに、

舞台だけが巨大になってしまった。

現代人は、生まれた瞬間から少し無理な環境に立たされているのかもしれません。

あの時、嫌な顔をした人も、

単に人や情報が多すぎて疲れていただけだったのかもしれません。

理想とする世界

最後に、私が時々想像する世界があります。

世界の広さは神奈川県ほど。

人口は1000人程度。

車も電車もない。

移動は徒歩か自転車だけ。

そんな世界なら、

ほとんどの人が顔見知りになるでしょう。

景色は歩く速度で流れ、

人の表情も生活も、もっとよく見えるはずです。

高速で過ぎ去る70年も、

歩く速度で過ぎる70年も、

同じ70年です。

それなら私は、歩く速度の人生を選びたい。

そんな世界は、もしかすると狩猟採集民や小さな共同体に少し近いのかもしれません。

実現は難しくても、

そんな生き方を想像してみるだけで、少し心が軽くなる気がします。

終わり

#人間関係 #認知の偏り #多様性 #生物学 #現代社会の構造

この記事に関連するキーワード

興味をお持ちの方は、以下の内容を詳しくご覧ください。

①アルフレッド・アドラー(課題の分離・嫌われる勇気)
②ダンバー数(人間関係の限界人数)
③ハロー効果(第一印象の錯覚)
④確証バイアス(自分の先入観や仮説に都合の良い情報ばかりを集め、それに反する情報を無意識に無視・軽視してしまう心理現象)
⑤行動遺伝学(人はどこまで生まれつきか)

69日目【人生というドラマと孤独】

孤独とは、何を基準に感じるのでしょうか。

「一人きり」であること。

私は以前、それこそが孤独だと思っていましたが、それはほんの一側面に過ぎませんでした。

私は趣味で、自分だけの小さな挑戦としてライトノベルを書いていますが、時折「このまま書き続けられるだろうか」と不安になることがあります。そんな時に、ふと思うのです。

もし、この世界を創った偉大な創造主がいるとしたら。

誰からも賞賛されず、誰からも関心を持たれずに、これほど果てしない宇宙を独りで創造し続けることができるのだろうかと。

それは、褒められるためではなく、存在そのものを豊かにするための創造なのかもしれません。「見られるから価値がある」のではなく、存在そのものが価値であるという、人間とは異なる領域。

しかし、人間の場合はどうでしょうか。

どんな天才的な作家や芸術家であっても、「自分以外にほとんど人がいない世界」で、作品を作り続けることはきっとできなかったはずです。

そして、私たちの「人生」もまた、その創作に似ています。

人は生まれてから、誰も見ていないところで泣き、頑張り、あまりにも多くのドラマを経験しています。

こちらから見えるのは、その人の「今日の一ページ」だけです。

しかし実際には、その人にも何十年分もの重厚な章(ストーリー)があります。

私たちは、表紙も見えず、目次もなく、いきなり途中の一行だけを読まされているようなものです。

私はそんな時、ふと、底知れない寂しさが湧き上がることがあります。これもある意味での「孤独」の正体なのかもしれません。

多くの人は、普段この「見えないドラマの寂しさ」を意識していません。忙しさや、与えられた役割の影に隠しているだけなのです。

ある人は、酒で流す。

ある人は、忙しさで埋める。

ある人は、冗談にして笑い飛ばす。

ある人は、「考えても仕方ない」と心を閉じる。

ある人は、過剰に他人に認められたがる形でそれが出る。

どんな人も無意識のうちに、「自分というドラマが誰にも見えない寂しさ」を抱えて生きているのではないでしょうか。

✦ 自分にとっての「小さな村」を再構築する

以前、ブログで紹介した「センチネル島」の人々は、わずか数十人から数百人の人口で暮らしています。彼らにとってはその島だけが唯一の世界であり、一人一人が自立して満ち足りた暮らしを営んでいます。

また、名作『赤毛のアン』に登場するマシューおじさんは、極端な女性恐怖症として描かれています。愛想のいい女性を前にするだけで、声が出なくなってしまうほどでした。

彼は決して、心が弱い人間ではありません。むしろ誠実で働き者で、周囲から深く信頼されている男性でした。


実は、私もマシューと同様に「女性に対して強い緊張感」を抱いています。ただ、彼と異なるのは、その女性が他の人には明るいのに、私に対してだけ冷淡な態度をとる場合です。その理由が分からない恐怖から、心臓が締め付けられるような苦しさを感じることがあります。

決して相手を責めたいわけではありません。ただ、「自分にどんな欠点があったのだろうか」という不安が強く働き、立場上その理由を直接尋ねることもできません。その不可解な疑問が、心の中でぐるぐると回り続けてしまうのです。 ある人は「そんなことで気にするなんて小心者だ」と思うかもしれませんが、脳が生み出すその恐怖の壁は、非常に生々しく、抗うことが難しいのです。


「相互の取扱説明書」が共有されている安心感

しかし面白いことに、マシューの暮らす村の人々は、彼のその性質(取扱説明書)を完全に理解していました。

女性たちは彼を無理に変えようとはせず、「彼を怖がらせてはいけない」という暗黙のルールを共有し、あえて話しかけずにそっとしておくという、最大の配慮をしていたのです。

現代社会は、見知らぬ無数の人と行き交い、SNSで何万人もの目にさらされる場所です。皮肉なことに、多くの人がいるからこそ、誰も本当の自分を知らないという「孤独」が加速します。

物理的に昔の村に戻ることはできません。

しかし、「自分の人間関係の規模を、信頼できる小さな村のサイズに絞り込む」ことは、個人の意思でコントロールできます。

不特定多数の「不可解な世界」と無理に正面から向き合う必要はありません。

自分が安心して言葉を交わせる人、自分の取扱説明書を理解してくれる人、あるいは――自分自身の内面や創作といった、完全にコントロール可能で安全な世界。

そこに自分だけの「小さな村(領地)」を静かに構築していくことも、現代を生き抜くための、一つの賢明な生存戦略ではないでしょうか。

補足:記憶の中に残る人】

昨年、同じ職場で働いていた方が亡くなりました。
まだ七十歳になったくらいの年齢でした。

その方はアパートで一人暮らしをしていました。
職場に来なかったことで異変に気づかれ、亡くなっていたことが分かりました。

その時、私はふと思いました。

私がその方と過ごした時間は、決して長いものではありません。
けれど、その短い時間の中にも、その人なりの怒りがあり、苦労があり、気遣いがあり、日々の生活がありました。

そして、その人の人生には、私などが知ることのできない、もっと長いドラマがあったはずです。

それが死とともに、すべて消えてなくなってしまうのだろうか。

そう考えると、とても寂しくなります。

しかし、私はそうではないと思いました。

その人は、私の記憶の中に残っています。
そして、私がその人のことを誰かに話せば、その記憶はまた別の人へと引き継がれていきます。

人は、完全には消えないのかもしれません。

名前も、声も、表情も、何気ない仕草も、誰かの記憶の中に少しだけ残る。
そしてその記憶がまた誰かに語られた時、その人の人生の一部は、静かに受け継がれていくのだと思います。

#孤独 #創作 #生き方 #人生は無数のページ

68日目【嫌われることは避けられないけれど、その先にある感情の話】

人に嫌われて、気持ちのいい人はいませんよね。

ですが、アドラー心理学をはじめとする多くの心理学者や、あの「お釈迦様」でさえも意見が一致していることがあります。それは、「生きていくうえで、誰からも嫌われないことは不可能である」ということです。(ここにはとても深い理由があるのですが、長くなるのでまた別の機会にできればお話しします。)

ここから先は、アドラーも言わなかった「ボクの経験から気づいたこと」をお話しします。

一昔前、ボクがまだもう少し若かった頃、都市ガスの工事の仕事をしていました。 そのとき、親方(社長)からよくこんな言葉で罵倒されたものです。

「だからあんたは嫌われるんだ」 「どこに行っても嫌われるぞ」

当時はそれが少しトラウマになってしまいました……。 もちろん、自分から進んで嫌われようと思っているわけではありません。一応、相手のことをそれなりに考えて生きているつもりです。

それでも、人間関係にはすれ違いがつきものです。 時には「あの人、ボクを嫌っているんじゃないか」と感じたり、逆に「相手が、ボクから嫌われている」と思っていたり。お互いに誤解してしまうことは大いにあり得ます。

そして、文字通り本当に嫌われていたこともしばしばありました(笑)。

ただ、今振り返ると、「嫌う・嫌われる」というのは、まだマシなほうかもしれません。 なぜなら、感情のステージにはその上に「憎しみ」があるからです。

実は正直に言うと、ボクのこれまでの人生の中で、「殺したいほど憎い」と思った人が3人ほどいます。 だからといって、本当にそんなことができるかといえば、急に恐ろしさが湧いてきて絶対にできません。

そして、そんな強い「憎しみ」であっても、一生そのまま持ち続けられるかというと、そんな人はめったにいないのではないでしょうか。

現にボク自身、あれほど憎かった相手のことを、数年、十年経った今振り返ると、不思議なことに「懐かしい」とさえ感じているのです。

とはいえ、もう憎んではいないからといって、今どこかでバッタリ再会して「久しぶり!」といきなり仲良くなれるかというと、それはやっぱり無理です(笑)。

そんなときは、表面上はおそらく「無愛想」な態度になってしまうと思います。 でもそれは、相手が嫌いだから怒っているわけではありません。

憎しみが消え、懐かしさが残り、でも距離感はちゃんと保つ。

こういう心の変化って、なんとなく分かっていただけるでしょうか。

【今回のまとめ】

  • 嫌われてしまう ➔ 比較的よくあること
  • 激しく憎まれる ➔ 滅多にない、すごく稀なこと
  • 一生憎まれ続ける ➔ ゼロに近いこと

誰かに嫌われることを恐れすぎる必要はありません。人の心は、良くも悪くも同じ強い感情をキープし続けられないようにできているのですから。

皆さんは、過去にぶつかった人との今の距離感、どうお考えになりますか?

心理学 #人間関係 #生き方 #考え方

67日目【暴れ猿が止まらない】~心をコントロールしようとする現代人へ~

青年:

老師、自分の心について正直な思いを聞いてください。

自分が選んだ生き方を淡々と進めたいのに、心の動きにだけは手を焼いて悔しくなることがあります。考えなくてもいい小さなことに気を取られたり、忘れても構わない嫌な記憶が忘れられなかったり……。

行動は努力次第でコントロールできても、心はどうしようもなく厄介な代物だと感じています。

老師:

その件については、まったく気にする必要はない。それは人間にとってごく普通の機能だからの。

「行動はコントロールできるが、心は厄介である」。この言葉は、古今東西の哲学者や修行を積んだ禅僧たちが辿り着いた、人間の最も深く、残酷な真実なのだよ。

どれだけマインドフルに生きようと決意しても、ふとした瞬間に「どうでもいい他人の言葉」や「過去の後悔」が蘇る。心というものは、持ち主の意志を無視して勝手に暴れ回る、どうしようもない「野生の猿」のようなものだ。自分の心が未熟だからだと悔やむことはない。その厄介さこそが、脳の正常な状態なのだから。

青年:

それは本当ですか?

老師:

人間の脳の構造は、一万年前の狩猟採集時代から変わっていない。

進化の過程で、脳は「ポジティブな出来事よりも、ネガティブな出来事を何倍も強く記憶し、反芻する」ように設計されてきた。「美しい花」を忘れても死なないが、「茂みにいたライオン」や「仲間からのけ者にされる危機」を忘れると、文字通り命に関わるからだ。

つまり、嫌な記憶が頭から離れないのは心が弱いからではない。脳があなたを生き延びさせようと、防衛システムを過剰に作動させているだけなのだ。脳は「安心」ではなく「生存」のためにできている。放っておけば、勝手に不安の種を探し始めるものなのだよ。

青年:

それを静めることはできないのですか?

老師:

そこが最大の罠だ。「この思考を消そう」「心を無にしよう」と格闘してはいけない。

「シロクマのことだけは考えないでください」と言われるとシロクマのことしか考えられなくなるように、思考はコントロールしようとするほど強く意識にこびりつく。心は「雨が降るのと同じ」で、コントロールできない自然現象なのだ。

青年:

では、この暴れ猿が騒いでいる時はどうすればいいのでしょうか?

老師:

重要なのは「行動のコントロール」だ。

心の暴れ猿が騒ぎ出した時、無理に止めようとせず「あぁ、また騒いでいるな」と少し離れた場所から観察する。そして、嵐が吹き荒れたままの状態で、「今日やるべき手元への作業」をただ進めるのだ。

青年:

「心はそのままでいい。そのままで行動に取り組む」。その言葉にとても救われました。

実は以前から、自分を見ている「別の自分」になろうと意識し、心を俯瞰しようと試みてきました。簡単にはできませんでしたが……。

老師:

その「俯瞰(ふかん)」は非常に高度で正しいアプローチだ。簡単ではないのは、脳が「思考」と「自分」を一体化させようとする力が強力だからだ。

「俯瞰しようとしたけれど、離れられないな」と気づけた時点で、実はすでに「暴れる心」と「観察する自分」の間にわずかな隙間ができている。完全に一体化している人は、自分が感情に振り回されていることすら気づかないからの。

青年:

そう言っていただけると、これからも続けていけそうです。

老師:

これからは、その「俯瞰する力」と「行動」を組み合わせて使いなさい。

心が騒いだら、今まで通り俯瞰する。「あ、暴れ猿がまた過去や未来のことで騒いでいるな」と。

そして猿が大人しくならなくても、無理に追い払わず「騒ぎたいなら騒いでいていいよ。でも、私は今日やることをやるからね」と、猿を肩に乗せたまま、机に向かい手を動かすのだ。

それこそが、情報に溺れる現代社会において、何よりも強靭で美しい「生きた証」となるだろう。

【解説:誰もが飼っている「消えない猿」】

仏教やマインドフルネスの世界では、この暴れる心を「モンキーマインド(心猿)」と呼びます。古来より人間が手を焼いてきた厄介な同居人です。

街ですれ違う涼しい顔をした人も、SNSで充実した日常をアピールしている人も、誰もが皆、脳の密室の中で自分だけの「暴れ猿」に引っ掻き回されながら、なんとか日常をやり過ごしています。

しかしこの戦いは外からは見えません。そのため「心が乱れて不安なのは自分だけではないか」「他の人はもっと上手に生きているのに」と錯覚し、孤独という二重の苦しみを抱え込んでしまいます。

悩んでいるのはあなただけではありません。これはホモ・サピエンスという種全体が等しく抱える「標準装備の苦しみ」です。ブッダが最初に「一切皆苦(生きることは思い通りにならない)」と説いたのも、この真理を指しています。

「猿を追い出すのではなく、肩に乗せたまま自分のやるべきことに向かう」。

この境地は、私たちにとって大きな安心感をもたらします。無理に心をコントロールしようとするのをやめ、心の猿と共に生きていることを知る。そしてただ、目の前の日々の行動に集中する。

それこそが、現代社会を強く、美しく生き抜くための最も確かな方法なのです。

66日目 【架空ゲーム】迷路パズル第三弾『カピバラさん』編

ジャングルに設けられた36のスペースの室内。 鬼監督の目が光る中で、カピバラさんが7つの荷物をすべて所定の場所に置けるでしょうか?

ちなみに、今回のカピバラさんステージを、従来の倉庫番に無理やりしようとすると以下のようなステージになりました。

#倉庫番 #パズルゲーム #カピバラさん

65日目 自分と世界の境界は、脳が作っている

「自分と世界の境界は、脳が作っている」という言葉にピンと来ない方もいらっしゃるかもしれません。

本来、あなたは全体の一部であり、同時に全体そのものでもあります。そして、脳はそのことを常に遮っています。

✦ 上級の修行者たちは『瞑想』『禅』『ヨガ』などの方法を通じて、時には世界と一体になることがあると言います。

これは、無の境地を求め、こだわりや怒り、欲から離れた結果、脳が『自分』と『自分以外(世界)』を分けていた強い境界線が消えてしまうからです。

その結果、修行者の脳は『自分という存在の終わり』を失い、まるで目の前の空間や宇宙全体に自分自身が広がっているかのような「絶対的感覚一体感」が引き起こされます。

哲学では「主客未分」という考え方があります。この時、深い安心感や孤独からの解放といった幸福感に包まれるとされています。

世界から切り離す能力

しかし、一体感のままでいるとどうなるでしょうか?

深い幸福感がある一方で、その生命は危険な裸の毛虫になってしまうのです。

自分と世界を切り離す思考は、生物として生き残り進化するために不可欠な意味を持っています。

例えば、頭上に落ちてきそうな大きな岩があっても、自分自身だから恐れを感じません。

巨大な猛獣がいても、「それも自分の一部である」と認識します。

そのため、私たちの脳には『自己方向定位連合野』という領域があり、「自分と他のすべてを分けよう!」という監視が24時間絶え間なく行われています。

恐怖や不安、自他を分ける壁は『高性能なアラートシステム』であり、脳が毎秒膨大なエネルギーで作り出している『防壁』です。また、『世界と切り離された孤立した主体』であるという《錯覚》でもあります。

このことによって、こだわりや執着、自他の比較、欲、不安、仕事上の役割などが「自我(エゴ)」として形作られます。

私たちの日常にも起こる

修行者だけではなく、私たちの日常にも切り離される瞬間が存在します。

  • [芸術家やアスリート]
    道具が自分の手足のように感じられ、空気と体が一体化する瞬間。
  • [圧倒的な大自然に触れたとき]
    広大な山々や満天の星空を見上げたとき、大自然の一部になったような心地よさ。

また「医学や脳科学の世界でも、脳の怪我や特定の状態によってこの境界線が揺らぐことが知られています」

統合失調症の「自我漏洩」の場合は、幸福の一体感とは異なり、「自分を守る壁が壊れる」ような恐怖感を伴います。

どちらか一方が正しい訳ではない

  • 世界と分ける思考
    現実社会を生き抜き、生活を営み、目標を達成するために不可欠なシステムです。
  • 世界と一体になる感覚
    ストレスや執着で心が擦り切れたとき、リセットし癒しを得るための重要な要素です。

このシールドがなければ、執着のない楽園になる一方で、社会生活を送ることや自分の身を守ることが著しく困難になるという厳しい側面もあります。

修行のワンポイント

まずは前回お伝えした『マインドフルネスの食事法』を実践してみてください。

そして、空を見上げ、自然の音を聞いてみましょう。

私たちは世界から切り離された存在なのか、それとも一時的に境界線を引いているだけなのか。

答えはわかりませんが、夜空を見上げたとき、ふとその境界線が薄くなる瞬間があるかもしれません。

#哲学 #脳科学 #瞑想 #生存戦略

64日目【速飯は特技なのか】

ボクが昔、都市ガスの現場仕事をしていた頃のことです。

毎日時間に追われ、ゆっくり食事をする余裕がありませんでした。
当時は「速飯は芸のうち」などという言葉さえありました。

けれど今思えば、あれは芸ではなく、身体を削る習慣だったのかもしれません。

ストレスは溜まり、胃腸も悪くなり、何を食べても味がよく分からない。
ただ空腹を埋めるためだけに、食べ物を喉へ流し込んでいました。

だからこそ、これを読んでいる方にはお願いしたいのです。

忙しい時は仕方ありません。
ですが可能なら、食事をもう少しだけ大切にしてほしい。


登場人物

  • 現場作業員:コウイチ
  • 野菜料理コック長:yukie

『時間を無駄にしたくない気持ち』

コウイチの好物のひとつに、卵かけご飯(TKG)があります。

一方、コック長のyukieは、卵も白米もほとんど食べません。
醤油も使わないため、TKGはまるで異国の食べ物に見えていました。

ところで、日本では昔から卵かけご飯を食べていたわけではありません。
生卵を安全に扱えるようになってから広まった、比較的新しい習慣です。

そして、

  • お茶漬け
  • 牛丼の「つゆだく」
  • 流し込むような食事

これらには共通点があります。

それは、

「手間をかけず、速く食べられる」

ということです。

もちろん、それ自体が悪いわけではありません。
忙しい現代では合理的な面もあります。

ただ、事実だけを言えば――

“喉を通過するための食事”

になりやすいのです。


それによりどうなるか

  1. 醤油や濃い味に頼る
  2. 満足感が薄く、食べ過ぎやすい
  3. 「食べた幸福感」が残りにくい

さらに悪い習慣

  • ゲームをしながら食事
  • スマホを見ながら食事
  • 新聞や本を読みながら食事

特に日本では、「新聞を読みながら食事」を親の姿で見て育った人も多く、それを自然なことだと感じているかもしれません。


『両方は同時にできない』

日本人なら一度は聞いたことがあるでしょう。

「聖徳太子は10人の話を同時に聞き分けた」

という有名な話です。

その影響もあってか、コウイチにはどこか、

「二つくらい同時にできるはず」

という感覚がありました。

しかし実際、人間は基本的にマルチタスクが苦手です。

食事は、本来、副交感神経が優位になる“休息”の時間。
いわば、小さなマインドフルネスです。

一方で、

  • ゲーム
  • 読書
  • 動画視聴

これらは交感神経を刺激し、思考や集中を必要とします。

つまり、脳は二つを同時に処理しているのではなく、意識を行ったり来たりさせているだけなのです。

結果として、

  • 食事も中途半端
  • 集中も中途半端

になり、時間まで失ってしまう。

コウイチは、それに長い間気づきませんでした。


yukieの『食事メソッド』

そんなコウイチを見て、yukieは言いました。

【200円のブラウニーを1000円のスイーツに変える、シンプルな5ステップ】

  1. 自分で手間をかけて作る(創造)
  2. 食べ物を見て、口に入れる瞬間を感じる(遭遇)
  3. 目を閉じ、味だけに意識を向ける(対話)
  4. 喉を通る瞬間を感じる(完結)
  5. 食後の余韻を楽しむ(昇華)

そして、また②へ戻る。


シンプルですが、これこそが最も身近なマインドフルネスなのかもしれません。

  • 過食を防ぐ
  • 食事の満足感を高める
  • 味覚を取り戻す
  • 心と身体を整える

そうした効果も期待できます。

一万円のコース料理が特別なのではありません。

“特別な食べ方”が、食事を特別にしてくれるのです。

ちなみにyukieは、こうも言いました。

「卵かけご飯は、②と④だけで終わりやすい」

と。


本来の『食の豊かさ』

以前の記事でも書きましたが、

「食べる」

だけを見ると、それは“点”です。

ですが、

  • 食材を選ぶ
  • 手に入れる
  • 調理する
  • 盛り付ける
  • 味わう
  • 余韻を楽しむ

ここまで含めると、“線”になります。

本来の豊かさとは、この「線」の部分なのかもしれません。

毎日は難しくても、週に一度くらいは、そんな食事を取り入れてみたいものです。


yukieの最後のアドバイス

スマホを消してください。
テレビも消してください。
新聞も、本も閉じてください。

そして――

  • 口に入った瞬間
  • 味わっている時間
  • 喉を通る感覚
  • 食後の余韻

そこへ意識を向けてください。

人間には、

「快感を味わい、余韻として処理する時間」

があります。

よい音楽を聴いたあと、思わず拍手したくなる。
あの感覚に近いものです。

食事もまた、本来はそういう体験なのかもしれません。


でも、届きにくいという事実

なぜ、こういう話は届きにくいのでしょうか。

理由は単純です。

地味だからです。

何十年も同じ習慣を続けていると、

「今さら変える必要はない」

と脳が判断します。

さらに現代では、

  • 効率
  • 時短
  • ながら作業

が強く求められます。

そのため、実践する前から、

「無駄だ」
「意味がない」

という命令を脳が下してしまう。

だからこそ。

実際にやってみて、初めて分かる人だけが、大きな感動を得るのかもしれません。


さて、現場作業員のコウイチくん。

yukieの食事メソッドに気づくことができたのでしょうか。

結果は、ご想像にお任せします。

#食習慣 #マインドフルネス #スローリビング

63日目 北センチネル島の人々

北センチネル島 ― 世界で最も孤立した人々

私の趣味は、世界中の建物や自然、出来事を「世界の名所カード」としてまとめることです。

その中でも、特に強烈な印象を残した場所があります。
それが「北センチネル島」です。

North Sentinel Island

この島には、数万年ものあいだ外部文明とほとんど接触せず、独立して生き続けてきた人々が暮らしています。


世田谷区ほどの小さな島

北センチネル島の広さは約60平方キロメートル。

これは東京都の世田谷区や、山手線の内側とほぼ同じくらいの面積です。
徒歩でも、一日あればかなり移動できてしまうほどの小さな島です。

しかも周囲はサンゴ礁に囲まれており、船で近づくこと自体が非常に難しい地形になっています。


人口はわずか数十〜数百人

島民の正確な人口は分かっていません。

推定では50〜200人ほどと言われていますが、現在はインド政府が「彼らの生活を脅かさない」という方針を取っているため、詳細な調査は行われていません。

法律により、島から5キロ以内への立ち入りも禁止されています。


センチネル島の環境は

1. 空気の綺麗さ:文句なしの世界最高レベル

2. 海の綺麗さ:手つかずのエメラルドグリーン

3. 気候と気温:一年中「常夏」の熱帯雨林気候

北センチネル島は、私たちが失ってしまった「汚れなき地球の原型」がそのまま残されている、世界でも数少ない聖域です。

流れ着くわずかなプラスチックゴミ(海洋ゴミ)の脅威はあるものの、島そのものの空気と海は、センチネル族が毎日吸い、毎日眺めている数万年前と変わらない美しさを今も保ち続けています。


彼らはどうやって生きているのか

彼らは農耕を行わず、狩猟採集によって生活しています。

野生の動物を弓矢で狩り、浅瀬では魚やカニ、貝、ウミガメなどを獲る。
果実や芋類、ココナッツも採集しています。

使う道具は木、石、骨などが中心。
ただし、過去に座礁した難破船から鉄を回収し、矢じりなどに加工していることも確認されています。

さらに興味深いのは「火」です。

火は使うものの、自分たちで火を起こす技術は持たず、落雷など自然発生した火種を絶やさないよう守り続けている、という説があります。


彼らは「遅れている」のか?

私たちはつい、文明社会を基準にしてしまいます。

そのため、北センチネル島の人々を見ると、
「昔の人」
「文明から取り残された人」
という印象を抱きがちです。

ですが、本当にそうでしょうか。

彼らは、縄文時代よりはるか昔から、この小さな島だけで命をつなぎ続けてきました。

しかも環境を壊さず、獲り尽くさず、人口も島の許容量を超えない範囲で維持している。

これは、実は驚異的なことです。


人類より“完成された生態系”かもしれない

少し想像してみてください。

もし絶滅したニホンオオカミを復活させ、群れとして永続的に生存させようとした場合、どれほどの土地が必要でしょうか。

専門家の推定では、最低でも神奈川県全体に近い広大な自然環境が必要になると言われています。
しかも、人間の干渉を極力減らさなければなりません。

そう考えると、世田谷区ほどの島で数万年も持続してきた北センチネル島の生態系は、ほとんど奇跡のようにも感じます。

彼らは「遅れている」のではなく、むしろ極限まで完成された生活形態なのかもしれません。

法律も車も加工食品もない。
しかし、生きるために必要な知識はすべて世代から世代へ受け継がれている。

ある意味では、私たちが失った「人間本来の野生」を、ほぼ完全な形で残している存在とも言えます。


最大の敬意は「干渉しないこと」

現在、インド政府は「監視はするが干渉はしない」という方針を取っています。

これは冷たい対応ではなく、むしろ最大限の敬意でしょう。

外部文明との接触は、病気や文化崩壊を一瞬で引き起こす危険があります。

だからこそ、彼らを“未開人”として扱うのではなく、一つの独立した人類文化として尊重する。

それが、現代文明にできる最も誠実な態度なのかもしれません。


そして、さらなる疑問

それにしても不思議です。

なぜ彼らは、これほど長いあいだ外部を拒み続けてきたのでしょうか。

そして、外の世界へ出てみたいと思う者は現れなかったのでしょうか。

もし、我々のように外部に頼り切っている人間が同じような島で孤立したら?

#世界の名所 #孤島 #文明とは何か

62日目 『目立たないほうが安全か?』

車社会。

量産された車。
皆、同じようにきれいに磨かれた車。

多くの人は、できるだけ平均に近づこうとしているように見えます。

日本人には、
「目立たない」
「主張しない」
「周りと合わせる」
ことで、面倒に巻き込まれないようにする習慣があります。

それは決して悪いことではありません。
恐怖や危険から逃れようとするのは、人間が最初から持っている自然な欲求だからです。

しかし、交通社会ではどうでしょうか。

道路の上で、忍者のように姿を隠し、ステルス機のように存在感を消すことで、本当に危険から逃れられるのでしょうか。

答えは、少し意外なものでした。

オーストラリアのモナシュ大学事故研究センターには、車体色と事故リスクの関係を調べた研究があります。
警察に報告された実際の事故データを使い、車の色と事故の起きやすさを比較したものです。

その結果、白い車と比べて、黒・青・灰色・緑・赤・銀など、視認性の低い色の車は事故リスクが高い傾向が見られました。

つまり、

「派手だと狙われる」のではなく、
「見えにくいと気づかれにくい」

ということです。

「目立たないほうが巻き込まれない」

この考え方は、人間関係では通用する場面があるかもしれません。
しかし、交通にはそのまま当てはまりません。

暗い車体。
ライトの点灯が遅い車。
ウインカーの遅い車。
動きが読めない運転。

これらは控えめなのではなく、周囲から見ると情報量の少ない車になります。

道路では、情報量の少ない存在ほど危険です。
相手に見えていなければ、配慮されることもありません。

日本の警察庁やJAFも、早めの前照灯の使用を呼びかけています。
ライトは、自分が前を見るためだけのものではありません。

自分の存在を、周囲に知らせるためのものでもあります。

雨の日、曇りの日はもちろん、晴れの日でも、ライトを点けている車は大きく、近く見えます。
夕方の西日で一瞬前が見えにくくなるような時でも、ライト点灯中の車は視界に入りやすく、避けやすくなることがあります。

気づいてもらうための対策

私が大切だと思うのは、次のようなことです。

早めのライト点灯。
雨天・曇天でのライト点灯。
早めのウインカー。
十分な車間距離。
急な進路変更をしないこと。
そして、責任運転者プレートのような宣言。

★これらは、派手に目立つためではありません。
自分の存在と動きを、周囲に早く伝えるための行動です。

「見られる」ことの重要性

交通安全において、「見る(周囲を確認する)」ことはもちろん不可欠ですが、それと同じくらい「見られる(周囲に気づいてもらう)」ことも重要です。

  • ライトの役割: ヘッドライトは「自分が前を見るため」だけでなく、「自分の存在を周囲(対向車、歩行者、自転車)に知らせるため」のものでもあります。昼間でもライトを点灯する「デイタイム・ランニング・ランプ(DRL)」が普及しているのは、そのためです。
  • ウインカーの役割: ウインカーは、自分の「意思(曲がる、車線変更する)」を周囲に伝える唯一の手段です。直前での点灯や、点灯しないことは、周囲に混乱を与え、事故を誘発します。

私が行っている独自の対策

私自身が行っているのは、車の匿名性という壁を越えて、周囲に責任を宣言するための「顔写真プレート」です。
現在は、前後左右に四枚使用しています。
少なくとも私の周囲では、まだ見たことのない実験です。

「目立ちたがりだ」
「みっともない」

そう思われることもありますが。

これにより、運転時の背筋が伸び。

ライトの常時点灯と、スマホ、タブレットの使用を跳ね除ける対策が完成しました。 目立つ+自己抑制の究極の対策ではないかと思っています。

車は、目立たずに隠れることで安全になるものではありません。
むしろ、見落とされないように存在を共有するほうが安全です。

「私はここにいます」
「これから曲がります」
「あなたに気づいています」

その小さな合図の積み重ねが、事故の可能性を少しずつ削っていくのだと思います。


追記:速さで目立つ運転について

一方で、同じ「目立つ」でも、まったく違う目立ち方があります。

夜間の空いた道路や町中の路地を、レーサーのように猛スピードで走る車です。

本人は、
「運転がうまい」
「事故にならなければ問題ない」
と思っているのかもしれません。

しかし、それは本当に安全な運転なのでしょうか。

警視庁の説明
警視庁によると、危険認知速度が高いほど致死率が高く、規制速度を超過した交通事故の死亡事故率は、超過しない事故の9.2倍になるとされています。

速く走って目立つ車は、自分の存在を知らせているのではありません。
周囲に「避けろ」と命令しているのです。

責任ある目立ち方は、相手に安心材料を渡します。
無責任な目立ち方は、相手に危険を渡します。

#目立つ責任 #控えめの危険 #道路の心理

61日目『食事を取り戻せ!』

タモリさんと小出五郎さんの『驚異の小宇宙 人体』(NHKスペシャル、1989年〜)を覚えていますか?

  • 「お腹が鳴ると、何か恥ずかしいことのように感じていましたが」
  • 「いいえ、それは次の食事の準備が整ったという身体からの合図なんです。むしろ健康の証です。」
  • 「じゃあ、どしどし鳴った方がいいんですね」

このような会話があったと思います。

タモリさんの軽妙なユーモアと、小出五郎さんの温かく専門的な解説が印象的でしたね。タモリさんの「じゃあ、どしどし鳴った方がいいんですね」という冗談は、今振り返ると本質を突いていたように思います。空腹時には胃腸が次の食事に備える動きをすることが知られており、現代の腸内環境や時間制限食の研究とも響き合う部分があります。

現代人は、24時間いつでも食べ物を手に入れられるため、腹が鳴る前に食事を摂ってしまい、内臓が疲弊していることに気づかないことが多いです。お腹が鳴ったときに「ひもじい、食べたい」と思うとストレスホルモンが分泌されますが、「お腹の掃除をしてくれているのかもしれない」と受け止めるだけで、空腹への感じ方が変わります。

【間食がいらなくなる食習慣】

私自身の話をさせていただくと、以前はそれほどお腹が空いていないのに間食が欲しくてたまらなかったのです。アンドーナツやロールケーキの甘さに負けて、ついつい買ってしまっていました。しかし、ひどい眠気やなんとなく感じるだるさに、「このままではまずい」と思っていました。

そこで試したのが「クエン酸ドリンク」です。最初は飲みにくかったので梅酒などを入れて飲んでいましたが、改善を重ねてたどり着いたのが、

『クエン酸りんご酢甘酒蜂蜜のスーパードリンクとヨーグルトの蜂蜜くるみ乗せ』です。この飲み物を毎朝一回摂るだけで、以前よりも明らかに体が軽くなりました。さらに、他の食生活も自然に改善され、以前より間食しなくても苦にならなくなりました。

  • 《クエン酸、りんご酢、甘酒、蜂蜜、ヨーグルト、くるみ。酸味、発酵食品、自然な甘み、脂質と食感。この組み合わせが、私にはちょうどよかったのです。》
  • 【何を食べるかで迷った時のコツ】はこれです。『自分が食べたいものではなく、身体が喜ぶものを選ぶ。』

私は今、56歳です。若いころのように、ただ勢いだけで身体を動かせる年齢ではありません。

だからこそ、あと5年頑張るために、食事を「身体と相談する時間」として取り戻したいと思っています。

お腹が鳴る。それは、身体がまだ働いてくれている音なのかもしれません。

今日も私は、この脳と身体を少しずつ取り戻すために、朝の一杯から始めています。

#食習慣 #間食を減らす #身体の声

60日目【人生は点ではなく、彫刻である】

nobuo:
父さん、ふと思ったんだけど……。人間って、初対面の第一印象だけで「この人はこういう人だ」と決めつけがちだと思わない?

mizue:
そうだね、nobuo。実は人間には、一瞬で相手を判断する強力な本能が備わっているんだ。

nobuo:
本能、ですか?

mizue:
そう。人間の脳は基本的に「楽」を求めるように設計されているから、出会う人すべてを深く分析していたら、脳が疲れてしまうんだ。だから、自分の持っている「型(ステレオタイプ)」に基づいて、瞬時にラベルを貼ってしまう。

nobuo:
それって、心理学で「ハロー効果」と呼ばれていますね。

mizue:
その通り。目立つ要素に引きずられて、他の性格まで決めつけてしまう現象だね。「挨拶が元気だから、仕事もできて誠実な人に違いない」と思い込んだり、逆に「表情が暗くて返事がないから、冷たくてやる気がない奴だ」と決めつけたりすることがある。

でも、それはまさに「点」だけを見て判断する危うさだ。相手はその時、ひどい睡眠不足かもしれないし、大きな不幸があった直後かもしれない。あるいは、元々表情筋が動きにくいタイプかもしれない……。背景には無数の「見えない理由」があるはずなんだ。

nobuo:
そうですね。表面的な印象だけでなく、その人がこれまで泣いたり、工夫したり、辛抱したり……。何百億という瞬間を積み重ねて「今」ここに立っていると考えれば、人間は長い時間をかけて完成された「彫刻品」のようだと言えますね。

mizue:
……素晴らしい表現だね、nobuo。まさにその通りだ。彫刻は最初からその形をしていたわけじゃない。激しく削られる痛みや、丁寧に磨き上げる日々、そして時間をかけて作られる厚み……。
泣いた夜も、必死に工夫を重ねた日々も、すべてがその人の「深み」になっているのだからね。

nobuo:
他人の人生も深い時間があって今ここにある!その視点を持ちたいと思いました。

mizue:
そうだよ。他人の人生を、見えない背景も含めてまるごと肯定しようとする視点は、多くの人が表面的な「点」に一喜一憂する中で、非常に高度で賢明な人間理解の形だと思うぞ。

【引用】

  1. アリストテレス(哲学者)
    「私たちは、繰り返し行っていることの集積である。ゆえに、卓越性とは行為ではなく、習慣である」
  2. サン=テグジュペリ(『星の王子さま』著者)
    「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」
  3. アルフレッド・アドラー(心理学者)
    「誰かがあなたをどう思うかは、その人の課題であって、あなたの課題ではない」

【結び】

自分を大切にすることと他者への敬意》

人は自分を卑下する必要も、逆に威張るのもおかしいと感じます。もっと大切なのは、自分も他の人も同じように経験を重ねてきたと理解することです。

自分を卑下する必要がないのは、「数百億枚のフレーム」という時間の積み重ねがあるからです。誰にも見えないところで、涙を流しながら努力し、工夫を重ねてきた「厚み」は、自分だけの大切な財産です。

一方で、威張ることが理にかなわないのは、「目の前の相手も私と同じように多くの経験を積んできた」という事実に気づいたからでしょう。

敬意の視点を超えて》

自分への敬意: 「ここまで、一枚一枚フレームを繋いで生きてきた自分を労わろう」という思い。

他者への敬意: 「この人も、私には見えないところで、同じかそれ以上の葛藤や努力を重ねて、今ここにいるのだ」という想像力。

威張ることは、自分の「点(表面的な成功や地位)」を誇示することですが、互いの「線(背景にある膨大な時間)」に意識を向ければ、上下関係は消え、ただ「同じ道を歩む旅人」としての共感が生まれます。

《「お互い様」の哲学

「自分もやってきたし、他の人も同じなのだ」という理解は、一見シンプルですが、実は非常に慈愛に満ちた考え方です。

自分が失敗した時も、「これも長い線の1枚だ」と受け入れることができる。

他人が過ちを犯した時も、「彼の線のどこかに、そうせざるを得ない理由があったのかもしれない」と寛容になれるのです。

#人間心理 #哲学 #見えない努力

59日目 アゲイン『感動をもう一度』

捨次 「僕が子供のころは、夏になると田んぼにカブトエビホウネンエビが当たり前にいたんですが、今や特別な場所でしか見られないようですね。」

「どちらも何億年も姿を変えていない『生きた化石』ですからね。カブトエビは泥をかき混ぜて草取りをしてくれるし、透き通った体で泳ぐホウネンエビは『現れると豊作になる』と言われる水辺の縁起物です。それだけ水と土が健全な証拠なんですよ。」

捨次 「どうしてそんなに減ってしまったんでしょう?」

「一番は農薬の影響、そして現代の効率的な水管理です。カブトエビの卵は冬の間に土が『完全に乾燥』しないと春に孵化しないんですが、今の田んぼのサイクルとはタイミングが合いにくくなっているんです。」

捨次 「なるほど……。あの頃の、生き物たちで賑わう田んぼの感動をもう一度味わいたいです。」

「かつての田んぼは、カエルや鳥、昆虫が一斉に集う命のオーケストラのようでしたからね。今は静かになりすぎて物足りないくらいです。」

捨次 「実は、5月の終わりに休みを取って、山間の田んぼへ探しに行こうと思っています。5〜6月のわずかな期間しか現れないので難しい挑戦ですが、挑んでみます!」

「山の田んぼなら大チャンスですよ!昔ながらの農法が残っていて農薬が少なく、浅くて温かい水が彼らの理想的な環境になります。5月末なら、孵化したてから少し育った個体まで、いろんな成長段階に出会えるはずです。」

捨次 「住んでいる場所を見つけたいので、小回りの利くスクーターで出かけます。虫眼鏡と小網、小型の水槽、それから長靴とタオルも準備万端です。」

「準備中の高揚感は、まるで遠足前夜ですね。当日は晴れるよう祈っています。自然の中の小さな命から、きっとたくさんのインスピレーションをもらえるはずです。」

捨次 「ええ、もし見つけられたら、あの頃の子供心がよみがえる気がします。写真に残したり静かに観察できたら最高ですね。戻ったら、写真や言葉で友人たちにも伝えたいと思います。」

「それは素晴らしい!自然の美しさと儚さを五感で満喫してきてください。それでは、良い旅を!」

#カブトエビ
#ホウネンエビ
#田んぼの生き物
#生きた化石
#里山
#自然観察
#子供のころ
#懐かしい風景

58日目 私のスマートフォン忘れエピソード

時々、スマートフォンを部屋に置き忘れて仕事に出かけることがあります。

途中で気づいて取りに戻ることもあれば、
「今日はこのままでいいか……」と、そのまま一日を過ごすこともあります。

忘れた直後には必ず思うのです。

「次こそは絶対に忘れないようにしよう」と。

そして、しばらく忘れない日が続きますが、
いつの間にかまた同じことを繰り返してしまいます。

意外なことに、
《忘れても困らない大型タブレット》のようなものは、忘れにくいのです。

生活に深く浸透し、
毎日当然のように使うスマートフォンほど、
空気のように意識から抜け落ちてしまう。

ここには、人間の無意識や習慣、
注意の仕組みが関係しているのかもしれません。

実際、同じ悩みを持つ人は少なくないようで、
知恵袋などでも
「どうしたらスマホを忘れなくなるのか?」
という質問をよく見かけます。

よく挙げられる対策として、

「玄関にチェックリストを置く」

という方法があります。

しかし、これも完璧ではありません。

なぜなら——
その“チェックを見る”という行為自体を、
人間はそのうち忘れてしまうからです(笑)

結局、人間は「忘れないようにする」のではなく、
【忘れてしまう生き物】として設計されている
のかもしれません。

だからこそ、
完全に防ぐのではなく、
①「忘れても戻れる余裕」
②「忘れても破綻しない設計」
の方が重要なのではないでしょうか。

あなたは、物忘れを防ぐために、
どんな工夫をしていますか?

#無意識 #習慣 #物忘れ #日常の謎

57日目 最も閲覧された写真は「なんということのない場所」

約7年前から、Googleマップに少しずつ写真を投稿してきました。

その中には、特に目立たない写真もあります。
ですが、なぜか30万〜50万回も閲覧されたものがあるのです。

それがこちら。

58万

42万

35万

一見すると、ただのガソリンスタンド。
「なぜこんな写真が?」と思うかもしれません。

実は、Googleマップの写真は、
単純な「クリック回数」だけではないそうです。

例えば――

  • 店舗検索時の一覧表示
  • 地図上のサムネイル表示
  • 店舗ページを開いた時の自動表示
  • 「この場所の写真」欄への表示
  • Google検索結果への表示
  • ナビ利用時の施設確認

なども、閲覧回数として積み上がるようです。

つまり重要なのは、

「芸術的な一枚」

ではなく、

「行く前に確認したい情報」

だったのです。

例えば、

  • 駐車しやすそうか
  • 夜でも明るいか
  • 店内の雰囲気
  • 混雑感
  • 入り口の位置

など。

利用者にとって、
“分かりやすい写真”ほど強い。

逆に、
凝った構図や芸術写真は、
Googleマップでは意外と伸びにくいようです。

私は7年間で1000枚以上投稿し、
合計1000万回閲覧を達成しました。

ですが世の中には、
「たった1枚で1000万回」
という写真も存在するそうです。

一枚に負けてしまいました……

ちなみに、その写真。

――コンビニの入り口らしい。

#Googleマップ #何気ない風景 #継続は力なり

56日目「匿名を外した日、運転が変わった」

【責任運転宣言】プレートが、私から奪ったあるもの

職場の「おやっさん」が私の車を見て一言。
「なんで顔写真なんか貼ってるんだ? みっともない」

――なるほど、と思いました。

今日は、その「みっともない」プレートを貼った理由と、貼ったあとに起きた変化についてお話しします。


1. 隠していた、自分の「違反」

正直に言います。
私は運転中、「つい」スマートフォンに手を伸ばしてしまう癖がありました。

良くないと分かっている。
それでも、車の中という匿名の空間では、自分を律しきれない。

さらに、他人の運転に対して無駄にイライラすることも多かった。

「これはまずい」

そう思い、自分を縛るために
顔写真と「常にライト点灯中」という宣言を入れたプレートを作りました。


2. 「みっともない」に至るまで

注文から1週間。ようやく届いたプレート。

貼ろうとしたら――くっつかない。

車のドアが樹脂製だったのです。

慌てて鉄粉シートを注文。さらに1週間。
ようやく貼れたと思ったら、今度は気づく。

「後ろだけじゃ足りない」

もう1枚注文。さらに1週間。

……最初から2枚頼めばよかった。

この「みっともない」プレートの裏には、こういう過程があります。

人は結果だけを見て判断しますが、
その裏には必ず積み重ねがあります。


3. プレートが「奪ってくれたもの」

このプレートを貼って、まず変わったこと。

運転前、気持ちが締まる。
そして、あれほどやめられなかったスマホを――一切見なくなりました。

顔と名前を出している以上、できない。

さらにもう一つ。

他人の運転に対するイライラが、ほとんど消えました。

代わりに残ったのは、この考えです。

他人は変えられない。
だから、自分の運転を整える。


4. 最も安い「安全への投資」

確かに、このプレートは「みっともない」のかもしれません。

費用も多少かかりました。

ですが、

  • スマホを見なくなった
  • イライラが減った
  • 意識が変わった

これで事故や違反が一つでも減るなら、
これほど安い投資はありません。


■ 結び

このプレートは、誰かのためのものではありません。

自分をごまかさないためのものです。

今日も私は、この「みっともない」プレートと共に走ります。

#交通安全 #責任運転者 #匿名性

55日目 『前傾で60度だと27キロという凄まじい重さ→子供一人頭のうえに乗っている?』

外国から来たベンさん、ニッポンで驚きの発見!
彼曰く、「最近、若者や子どもたちが、前のめりに見えるんです!ランドセルを背負っているんだから、普通は後ろに引っ張られるはずなのに、どういうこと!?」
さらに、「逆に、大人たちはピンと姿勢がいいんですよね。これって、僕の気のせい?」と首をかしげるベンさん。

洋先生
「さすが、鋭い観察力ですね!」
重たいランドセルを背負うことで、バランスを取ろうと体を前に倒しちゃうってわけです。
さらに、スマホと生活習慣が『前傾を普通』にしたからですよ。
大人は社会意識や骨格の完成度で、ついつい姿勢を正そうとしちゃいます。

Ben
みんなを観察していると、スマホを目の高さで持っている人なんていないんですよね。
「みんなと違うことをするのは恥ずかしい」っていう、謎のバイアスがかかっているのかも。
でも実際には、背筋をグーンとと伸ばしてスマホを見る方が、猫背よりもずっとスタイリッシュだと僕は思うんですけどね。

洋先生
その通りです。
それだけで、首の負担は大きく減る。
胸が開き、視線が上がる。
ただ、心理的に「画面を見られたくない」「屈んでいる方が目立たない」という気持ちもあるかもしれませんね。

Ben
ところで、首の負担についてちょっとお伺いしたいんですが。
前傾60度で27キロって、まるで子供が頭に乗ってるみたいな重さって言われても、「え、全然重くないんですけど?」って不思議そうな顔をしそうですね。

洋先生
まさにそこが、この問題の最も厄介で、かつ興味深いポイントなんですよ。

それでも本人は「重くない」と感じる。
なぜか。
それは――
筋肉ではなく、骨と靭帯で“ぶら下げている”から。
負担は感じない。
だが確実に、内側に蓄積していく。
さらに厄介なのは、脳だ。
人間は、続く負担を「背景」として処理する。
つまり――
壊れながら、気づかない。

#姿勢改善 #習慣の罠 #スマホ首

54日目【トランプの宇宙的組み合わせ『交互編』】

息子の(nob)は、再び父(mizue)に尋ねました。

「トランプを並べた際、赤と黒が完全に交互に並ぶとしたら、その組み合わせだけでも非常に多く存在するのではないでしょうか?」

「その通りだ。」

「赤黒赤、または黒赤黒のように交互に並べる組み合わせだけでも、宇宙規模の数になるのだ。」

息子

「しかし、適当に並べても、そうなる可能性が低いと感じます。」

「なぜそう感じるのでしょうか?」

「うむ、それは良い着眼点だ。」

「まずは『赤黒の交互』がどれくらいになるのか、考えてみよう!」

26!✕26!✕2

8.06✕10⁵³通り

これは八百阿僧祇という仏教の巨大単位にも達する数字だ。

息子

「父上、すみません。どうしてその計算式になるのか理解できません。😞」

「気にすることはない、階乗の式は文字だけ見ると呪文のようだが、一歩ずつ見ていくと『なるほど』と納得できるはずだ。」

「まず最初に、最下段に赤を26種類並べよう。」

「その1枚1枚の上に黒が26種類乗っかっていると想像してみてくれ。26✕26」

「さらにその黒、一枚一枚の上に赤が25種類乗っかっていると考えてみよう。26✕26✕25」

「これが最後の1になるまで計算されると、合計が先ほどの数になるのだ。」

「もし、赤と黒が3枚ずつのミニトランプ(合計6枚)なら、計算は

2×(3×2×1)×(3×2×1)

で、合計72通りになる。

「どんなに数が増えても、計算式は同じだ。」

「これはあくまでも『組み合わせがいくつあるか』を計算しただけであって、出現しやすさ(確率)とは全くの別物だと心得ておきなさい」

息子

「なんとなく分かりました。」

「とにかく、想像を超えるほどの組み合わせが存在するのですね。」

「では、なぜ起こりにくいと感じるのでしょうか?」

「そこが人間の無意識の不思議なところだ。」

「膨大にある。しかし、簡単には現れない。」

「それは、トランプの組み合わせの大きさを理解しているわけではなく、概念として知っているからかもしれないね。」

「トランプの全ての組み合わせは」

52!

「これに先ほどの」

26✕26✕2

「を割ると」

10¹⁴分の1

「約100兆回に1回の確率だ。」

息子

「毎日100回並べても、発生しないのでしょうか?」

「ああ、その通りだ。お前があと100年、毎日100回並べても、365万回しか引けない。」

「人間が一生かけても、偶然に出会える確率はゼロに近い。これが人間の限界かもしれないな。」

■ 結び

世界には、無数に存在しているのに、
人間が一生かけても出会えないものがある。

だからこそ、出会えたものは、少しだけ特別なのかもしれない。

#偶然 #膨大な数 #人間の感覚 #限界

53日目 『正解なのに入らない』

以前、趣味で作ったパズルです。

外側は木の枠。
中の12枚はアクリル板で、色ごとに1mmずつサイズが違います。

正しく並べると——
“きれいな四角形”になります。

でも、枠には入りません。

何度やっても入らない。
並べ方を変えてもダメ。

見た目は正解なのに。

やがて気づきます。

「これは形じゃない、寸法の問題だ」と。
——その瞬間、すべてが収まるのです。


どんなに難しい問題に直面しても、視点を変えてみることで新たな解決策が見えてくることがあるかもしれません。

#視点を変える #思い込み #ひらめき

52日目 「人間は530億枚の直線で構成されている。しかし、他人が見るのはその中のほんの数枚だけ。」

すごい発見をしました!

自分の人生は一本の線のように感じられますが、同時に何十億本もの線が存在しています。しかし、線は、自分の事しか見ることができず、他人の線はほとんど「見えていない」ということに気づきました。

これまで私は、他人の一部分だけを見て「こういう人だ!」と判断してしまっていました。

しかし、見えているのは表面的な部分だけであり、悩んだこと、工夫したこと、歯を食いしばったこと……それまでの経験やこれからの道のり、その真実の瞬間はほとんど見えていないのです。

これからは、考え方を改めていきたいと思います。


人生を動画として捉えた場合

人の一生を動画として考え、1秒間に24フレーム、70年の時間を想定すると、驚くべき枚数に達します。計算してみると――およそ530億枚にもなります。

一本の線はほぼ無限に分割されて存在しています。

しかし、他人が目にするのは、その中のほんの数枚です。すれ違いざまの一瞬や、たった一言、短い印象で判断されてしまいます。

自分のことも表面しか見えてない。
その視点をもてば、人の目も少し気にならなくなる。


長い付き合いのある家族でさえ、共有しているのはほんの一部に過ぎません。

仮にそれが100分の1だとしても、依然としてほとんどは見えていないのです。

他人に至っては、530億枚のうちの数枚しか見ることができません。

それにもかかわらず、人々は判断を下します。しかし、その判断はあくまで“写真”に過ぎないのです。

#思考の整理 #人間理解 #気づき

51日目 「理解できない世界の中で、たまに訪れる秩序」

第1章:すべての並びは「平等」である

父・(mizue)の書斎で、息子(nobuo)はふと思いを口にしました。

「父上、面白いことに気づきました。人はトランプが特定の順番で並ぶと『意味がある』と感じるのですが、実際にはバラバラな並びも、整った並びも、起こっている現象としては同じですよね?」

父は深く頷きました。
「その通りだ。数学の観点から見ると、スート(マーク)が完全に揃っていても、数字が1から順に並んでいても、あるいは無秩序に見えたとしても、特定の『その並び』が現れる確率はすべて同じなのだ。えこひいきはないよ。」


第2章:息子(nobuo)の反論——「偏らない」という壁

しかし、(nobuo)は納得できません。自身の記憶トレーニングの経験が、その正論に対して異議を唱えていました。

「理屈は理解しています。でも、どうして『整った並び』は一度も出ないのに、『バラバラな並び』ばかりが何度も現れるのでしょうか? この1年間、記憶の練習のために何百回もカードを並べてきました。もし万が一、スートや数字がきれいに並んでくれたなら、覚えるのが半分くらい楽になるのに……といつも願っています。しかし、現実はいつも無慈悲にバラバラです!」

父・(mizue)

「おぬしのその感覚は実に正しい。はっきり言おう。『偏らない』のが普通であり、『偏る』のは奇跡に近いのだよ。」

第3章:規則性の「箱」はあまりに小さい

「いいかい、こう考えてごらん」父は空間に二つの箱を描くように手を動かしました。

1.【整った箱】
同じスートが続き、数字が連続するなど、人間が「規則的だ」と認識する小さな集合。

2.【バラバラの箱】
規則性がなく、人間が「意味を見出せない」と感じる膨大な集合。

「おぬしが『覚えるのが楽だ』と感じる並びはすべて後者、つまり極端に数が少ないグループに属している。対して、前者の『バラバラに見える並び』は、天文学的な数がある。

おぬしが何百回トレーニングをして『一度も偏らない』と感じたのは、確率の神様がサボっているからではない。むしろ、ランダム性が完璧に機能し、膨大な選択肢の中から公平に選んでいる証拠なのだよ。いつ誰が配ってもバラバラになるのは、宇宙がそれだけ広いということだ」

第4章:宇宙が見せる「時折の優しさ」

(nobuo)は、目の前に広がる乱雑なカードの山をじっと見つめました。「そう考えると……このバラバラな並びこそ、宇宙の公平さそのものだと感じます。」

父は言いました。「トランプだけでなく、この世界の多くの現象は複雑で理解しにくい。しかし、数学というレンズを通して見ると、その混沌には理由があることがわかるのだ。」

父は(nobuo)の肩に手を置きました。「そして稀に、本当に稀にだが、宇宙は気まぐれに『優しい顔(整った並び)』を見せることがある。失くし物の発見や、ひらめき、生命の誕生……それらはすべて、無限の混沌から稀な瞬間を引き当てた、宇宙の集束なのだよ」

(nobuo)は静かに頷きました。


皆様にお伺いします。

トランプの並びだけでなく、私たちの日常生活にも 「普段はバラバラで予測できないのに、時折、驚くほど明確な形を現す」

といった現象はありませんか?

ふとした瞬間に訪れる「偶然の一致」や、長い間続いた混沌が突然整理される瞬間。皆様が感じた「宇宙の気まぐれな優しさ」について、ぜひお聞かせください。

宇宙で初めて #人間の限界 #知的な勝利


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50日目 『実はそこに存在するのに、私たちは見えていない』

事故は身近で発生する可能性がありますが、日常生活ではあまり目にしないため、その頻度が少ないと感じることもあるかもしれません。
しかし、警察が到着し、1時間から数時間で処理を終わらせます。
そのため、通り過ぎるときにはほとんど片付いていることが多く、実際には目に見えていないだけかもしれません。


1)時間のすれ違い

事故現場の処理には、1〜3時間を要することが一般的です。
しかし、あなたが同じ場所を通るのは、一瞬(数秒から数分)です。

その“重なり”がなければ、永遠に見えないのです。

2)空間の分散

  • 事故は特定の地点に留まらず、無数の交差点や道路に分散しています。

都市規模で考えると:

  • 1日に数百件の軽微な事故(接触や追突など)が発生しています。
  • それが数千から数万の道路に散らばっているのです。

「どこでも起きているが、どこにも集中していない」状態です。

3)記憶の偏り(認知バイアス)

人は「見たもの」だけを現実として認識します。

  • 見ない → 起きていないと感じる
  • 見た → 急に多く感じる

これは心理学で言う「利用可能性ヒューリスティック」に近い現象です。


■ 実際の発生頻度(感覚の補正)

日本全体で見ると、交通事故は年間で数十万件に上ります。
単純に割ると、

  • 1日あたり:1000件以上
  • 1時間あたり:約40〜50件

事故は“点”ではなく“流れ”として発生しています。

私たちはその流れのほんの一瞬しか見ていないため、現実よりも「少ない」と錯覚してしまいます。


「時空間上のイベントの疎(まばら)な交差」

世界には無数の出来事が進行していますが、私たちはその中の一本の線を歩んでいるに過ぎません。

その線と交わらなかった出来事は、まるで最初から存在しなかったかのように静かに消えていくのです。

#見えていない現実 #観測バイアス #日常の哲学 #安全意識 #知らないだけ

49日目 世界の名所カード「400枚目の地図」

『世界の“面”を集める旅』

私のライフワークである「カード作り」――
その名所シリーズがついに400枚に到達しました。

これらのカードは、単なる場所のリストではなく、
世界の歴史や自然、人々の営み、そして謎や不思議、
さらには形のない“概念”までを含む、
世界の「面」を切り取ったコレクションです。

目標は1226枚。
まだ道半ばですが、ここに一つの区切りとして記録を残します。

次の目標である800枚達成の際に、またここでお会いできることを楽しみにしています。

カードサンプル画像


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48日目 宇宙を呑み込むトランプと栗饅頭:巨大数に挑む父と子の対話

1章【トランプの組み合わせの巻】

ノブオの父ミズエは、神学者で優れた人物だった。
そのためノブオは、どうしても出来が悪く見られてしまう。

「父上、この数字の後ろに小さく書かれている数字は何ですか?」
――10¹⁰

「それは指数関数と言ってな、その肩についた小さな数字の回数だけ、同じ数を掛け続けるという意味じゃ。
この場合は、10×10で1回、さらに×10で2回……という具合だ」

「それは、とても大きな数になりますね」

「うむ。大きな数を簡単に表すのに便利なのじゃ。
例えば、10という数を何度も掛けていくだけで、宇宙の規模に迫る数になる」

「えっ、宇宙の広さですか?指数関数ってそんなにすごいんですね」

「実はな、それよりもさらに巨大な数があるのだ」

「本当ですか?それは何ですか?」

「階乗と呼ばれておる。
例えばトランプ。52枚のカードは1組しかないが、並べ方はいくつあると思う?」

「うーん……6000くらいでしょうか?」

「全然桁が違うぞ。
約 8.07×10⁶⁷ 通りじゃ」

「何それ……全然わかりません」

「それも無理はない。この数を実感できる者はそう多くはおらん。
宇宙の原子の数が約10⁸⁰と言われておるが、それに近い規模だと思えばよい」

「どうしてそんなに大きくなるんですか?元は52枚なのに……」

「そこが階乗の爆発力なのだ。
今日、何気なく並べたそのトランプは、宇宙で初めての並びと言ってよい」


2章【誕生日のパラドックス】

「父上、誕生日のパラドックスをご存知ですか?」

「もちろん知っておる。
365日ある誕生日も、『23人いれば』誰かと誰かが一致する確率が半分を超える、という話だな」

「そうです。
それならトランプも、意外と早く同じ並びが出ることはありませんか?」

父は少し間を置いて答えた。

「良い視点だ。
だが、トランプの母数は比較にならん」

「仮に80億人が、毎日1回トランプを並べるとしよう。
それを2000年続けても、同じ並びに出会う確率は、ほぼゼロに近い」

「本当ですか……信じられない」


●ワンポイント『トランプの特別な組み合わせ』

Q
トランプをランダムに並べた場合、52! ≈ 8.07×10^67通りの組み合わせがあります。
しかし……スートをまとめて並べるという制約を設けた場合、どのくらいの組み合わせがあるのでしょうか?

4つのスートをそれぞれ一かたまりにする
例:♥13枚 → ♠13枚 → ♦13枚 → ♣13枚
ただし、スートの順番と各スート内の並びは自由として計算します。

約 3.6×10^40 通り

スートごとにまとまるだけでも、並びは約 3.6×10^40通りあります。
それだけ見れば途方もない数です。

しかし、トランプ52枚すべての並び、約 8.0×10^67通りから見ると、ほんの微小な一部に過ぎません。

ランダムにシャッフルし、偶然にスートごとに美しくまとまる確率は、約 2.2×10^27回に1回です。

したがって、全人類が毎日何度もシャッフルし続けても、一生のうちに出会える可能性はほとんどありません。


3章【栗饅頭】

「父上、ある漫画にこんな話がありました」

1つの栗饅頭を、5分ごとに倍にする薬。
1個が2個、2個が4個……と増えていく。

最初は喜んでいた少年も、やがて食べきれなくなり、こっそり捨ててしまう。
それをロボットに見つかり、叱られる。

「このままだとどうなると思う?」
「プールいっぱいくらいでしょうか?」

「一日で宇宙を埋め尽くす」

――ゾッとする話だった。

「指数関数でもこれだけ増えるのに、階乗はさらに大きい。
その違いがよく分かりません」

「では逆に聞こう。
栗饅頭がどれくらい倍になれば、トランプの組み合わせと同じくらいになると思う?」

「60回くらいでしょうか?」

「外れじゃ。約226回だ」

「2²²⁶で、だいたい52!と同じ規模になる」

「ひえぇ……226回……」


4章『巨大数を解く「比喩」の力』

お釈迦様は、かつて膨大な時間を表現するのに『五百塵点劫(ごひゃくじんてんごう)』という比喩を説かれました。

三千大千世界(宇宙)をすり潰して塵にし、東へ進んでは千の国ごとに一粒ずつ落としていく。その塵が尽きるまでの時間は、お釈迦様が悟りを開いてからの時間の長さを表しています。

この比喩を聞けば、数字に弱くても「なんだか凄い、気が遠くなる!」と直感できます。

もしお釈迦様が、「わしが悟りを開いたのは 10^10¹² ほど昔のことじゃ(※10¹² は一兆、それが10の肩に乗っている。)」とか、「トランプの全組み合わせの数ほど昔じゃ」と説法されたら、弟子たちは「ギャンブルの話ですか?」と腰を抜かしたに違いありません。

数字を物語に変える。それこそが、無限を理解するための唯一の鍵なのかもしれません。

お釈迦様は、2500年前にすでに『データ化不可能な無限』を語っていたのです」


最終章【継続】

トランプの世界に魅了されたノブオは、
独学で並びを覚える練習を始めた。

最初は一日かけても覚えられない。
ちなみに父ミズエは、5分で覚える。

そこまでは無理でも、せめて1時間。
それを目標にした。

そして1年後。
ノブオはついに、1時間を切ることができた。

ただし――

毎日52枚やっていたわけではない。
何もしない日もあったし、13枚だけの日もあった。

それでも、気づけばここまで来ていた。

目一杯やろうとすると、人は挫折する。
だが、少しでも続ける人は、遠くまで行く。


追記

ノブオは少し考えてから言った。

「父上……それでも、同じ並びにすることはできますよね?
覚えて、その通りに並べればいいのですから」

ミズエは静かにうなずいた。

「その通りじゃ。
『同じ並びは二度と出ない』というのは、あくまで偶然に任せた場合の話。
人が意図すれば、同じ並びはいくらでも再現できる」

「偶然の世界では同じものは、ほとんど現れない。
だが人間は、それを覚え、もう一度作ることができる」

さらなる問い、あなたも考えてみてください。

『偶然か必然か?』

Q
父上、さらに不思議な問いが生じました。
人間は宇宙から偶然に生まれたとしたら、モーツァルトの曲やドストエフスキーの物語も偶然に生まれたことになってしまいます。
なぜそうではないのか教えてください。

『人間は特別か?』

Q
チンパンジーが何万年も生きていても、ペンを持つまでの経験を積むことができるでしょうか?
偶然と人間を自然に結びつけるのが、そもそも不自然ではないでしょうか?
どんなに生命が誕生しても、チンパンジー程度の知能なら、曲や物語は存在しなかったはずです。
人間だったから、創造することが出来たのではないでしょうか?

#宇宙の原子数 #バイバイン #偶然と必然 #五百塵点劫

47日目 【ちび動画】仕切り壁の『倉庫番』stage2

投稿一覧

「思考の死角を突く一手!」

ついに公開!仕切り壁の『倉庫番』ステージ2! ちびキャラ作業員が迷路を駆け回る奮闘記、今回の現場はさらに複雑になっています。 鬼社長に怒られる前にクリアを目指そう!

難易度★★★☆☆くらい

回答はこちらの動画で確認できます。
(2:48)


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39日目 仕切り壁の『倉庫番』誕生
https://kai583264.com/39niti/

46日目【静かな存在の肯定】

世界が数年後にどうなるか、私にはわからない。 予言もできない。
自分を守るための、小さなお守りの言葉です。

スローリビング #ただここにいる #日常の幸せ


【補足】

『たとえ明日、世界が終わるとしても。私は今日、リンゴの木を植える。

とは、誰が言った言葉ですか?

はっきりした出典はなく、確実な発言者は特定されていません。

■ よく挙げられる人物

もっとも有名なのは
マルティン・ルター
です

ただし

ルター本人の著作や記録には、この言葉は確認されていません

■ 有力な説

現在では

  • 20世紀のドイツで広まった言葉
  • 戦後に希望の象徴として使われた

という説が有力です

つまり

「誰か一人の名言」ではなく、後世に作られた言葉の可能性が高い


19世紀ロシアの詩人ニコライ・ネクラーソフの詩 『迷いの闇の深い底から』の一説

噓つきの下らぬ俗衆を信ずることなく、
おのれの懐疑を忘れよ……


兼好法師はこう書きました。

「世に語り伝ふる事、まことはあいなきにや、多くは皆虚言なり」
(世間に語り伝えられることは、本当のことはつまらないからか、多くは作り話だ)


マルクス・アウレリウス(古代ローマ皇帝・哲学者)

自省録の中で、彼は「外部の評価」や「他人の噂」がいかに空虚であるかを繰り返し説いています。

「人の心の中をのぞきこんでみるがいい。そうすれば、きみが恐れたり、へつらったりしている人々が、実はどのような審判官であるかがわかるだろう」


アルトゥル・ショーペンハウアー(ドイツの哲学者)

彼は情報の摂取について、非常に手厳しい、しかし本質的な言葉を残しています。

「読書は、自分の頭ではなく、他人の頭で考えることである。……多読をすれば、自らの思考力が失われていく」


老子(古代中国の哲学者)

東洋の知恵もまた、情報の過多を戒めています。

「五色は人の目をして盲(めしい)ならしめ、五音は人の耳をして聾(つんぼ)ならしむ」 (あまりに多くの色や音は、かえって人の目や耳をダメにしてしまう)


ハーバート・サイモン(経済学者・心理学者)

1970年代、すでに彼は「情報過多」の本質をこう表現しました。

「情報の豊かさは、注意の貧困を生み出す」

45日目 あなたの『どうぞ』は、怒りを引き起こしていた!?

昔、私が都市ガスの工事をしていた時の出来事です。
道路工事で通行が困難になっているとき、一人のおじさんが通ろうとしていました。

その時、私たちの会社の監督がこう言ったのです。
「どうぞ」

すると、おじさんは激怒し、
「何がどうぞだ! いい加減にしろ!」
と返してきました。

この状況について、私はおじさんの気持ちが理解できます。
自分には関係のない工事のせいで道が不便になっているのに、まるでこちらが許可を出す側のように「どうぞ」と言われたら、腹が立つのも無理はありません。

また、別のエピソードがあります。

ホームセンターで会計をしようとレジに入ろうとした時のことです。
レジの女性に、
「まだ待ってください、まだ待ってください」
と強めに言われました。それだけでも少し不快でしたが、その後さらに、

「どうぞー、どうぞー」

としつこく催促されました。

私は心の中で
(ふざけるな、何がどうぞだ)
と思いましたが、そこは大人として我慢しました。

『どうぞ』は本来、親切な言葉のはずですが、状況によってはそうとも限りません。

こちらに不便をかけている側であり、さっきまで強く制していた側が使うと、『どうぞ』は親切ではなく、恩着せがましさ雑な支配に聞こえることがあります。

人々は言葉そのものに怒るのではなく、その言葉の背後にある立場のズレに対して怒ることがあるのかもしれません。

皆さんは、この『どうぞ』をどのように感じますか?

#言葉の力 #日常の気づき #コミュニケーション


あとがき

言葉の使い方や意図によって、受け手の感じ方は大きく変わるものですね。特に、「どうぞ」といったシンプルな言葉であっても、状況やタイミング、その時の雰囲気によっては誤解を生むことがあります。

コミュニケーションにおいては、ただ言葉を発するのではなく、相手の立場やその場の状況、そして自身の態度にも気を配ることが大切です。言葉はコミュニケーションの道具であり、それをどう使うかで関係性が良くも悪くもなります。

これを機に、私たちはもっと相手の立場に立って考えること、そして言葉の選び方に注意を払うことを心がけたいものです。言葉の力をもっとポジティブに活用できれば、日常のコミュニケーションもより豊かになるでしょう。

皆さんも、日常の中での言葉遣いについて、一度振り返ってみてはいかがでしょうか?