覚えていないのに、なぜ脳は疲れるのか
動画やSNSをたくさん見たあと、 「何を見たかは思い出せないのに、妙に疲れている」 そんな感覚を持ったことはないでしょうか。
これは怠けでも、集中力の低下でもありません。 脳の仕組み上、きわめて自然な現象です。
登場人物
- ショコ:動画ばかり見ている人
- ミュラ:ショコを指摘する友達
- チャム:面倒見がよく尊敬されている優等生
〖会話〗
ミュラ
動画を見ていると脳が疲れると聞いたよ。
ショコ
それは、頭を使うコンテンツだからなんだ。僕にとって、動画やSNSは勉強と頭の刺激になっているよ。最近は倍速モードにも慣れてきたしね。
ミュラ
じゃあ、昨日覚えたことを教えてよ。

彼女の話には統一感がなく、右寄りの意見が多かった。
ミュラ
それだけなの?
ショコ
もっと知っているよ、すぐに言葉に出てこないだけなんだ。
[解説 1 ]
動画やSNSを見ている間、脳は常に次の作業をしています。
- これは重要か?不要か?という判断
- 音・映像・文字の統合処理
- 感情反応(驚き・不快・共感)
- 次を見るかやめるかの選択
結果として、
- 記憶に残るのは20%以下
- しかし処理コストはほぼ100%
という、非常に効率の悪い状態が生まれます。
チャムが2人に語りかけました
誰も言わないようなので、教えておきますね。
残念ながら、動画やSNSは脳をとても疲れさせるだけで、あまり効果的ではない方法なのです。
例えるなら、ゴミかどうかわからないものを一日中仕分けさせられている状態です。
しかも、捨てた成果は何も残らず、ただ疲労だけが蓄積されるというわけです。
[解説 2 ]
情報の主導権が、脳の外にある
動画やSNSでは、
- テーマは勝手に切り替わる
- 感情の振れ幅が大きい
- 終わりが見えない
脳は常に「次に来るもの」に備え続けます。
これは、 軽い判断を何百回も強いられる状態。
疲れないほうが不自然なのです。
ショコ
でも、動画やSNSって、情報も速く幅広い知識が得られるんじゃないの?
チャム
「それは多くの人が勘違いしているところなのよ。
どこへ行くかわからない車に乗せられるより、自分で操作している車の方が安心でしょう?
自分で決めた時間に読書や勉強をするほうが一番疲れにくくて、効率がいいということ」
[解説 3 ]
読書・思索・創作など、 自分で考えているとき、脳では次のことが起きています。
- 情報の入口を自分で絞っている
- 目的が明確
- 情報同士が結びつき、構造化される
脳は「処理」ではなく 構築モードに入ります。
構築はエネルギーを使いますが、
- 理解
- 納得
- 発見
という報酬がある。
だから疲労が 「消耗」ではなく「使用感」になります。
ショコ
でもコメント欄とかで意見を言ったり、人のコメントに反応したりするのは「能動的」じゃないの?
チャムの言葉
「それが最大の罠になっているのよ。」
コメントを投稿したり、反応を読むことに伴う恐れは、
「理解した」という錯覚を生むことです。
しかし、動画という大きな流れの中では、
本質的な知識の定着や目標達成には寄与しない――
それは単なる「脇道」に過ぎません。
むしろ、他人の意見に感情が揺さぶられ、
脳はさらに無駄に疲弊していく原因となります。
だからこそ、私は動画は一切視聴せず、
SNSも必要最低限に留めています。
それでも何の問題もなく、
日記を書くことで毎日がとても充実していますわ。

ショコとミュラ
チャムさんが言うのだから、僕たちも見習ってみようかな。
ショコさんはその後、動画やSNSを控えたことで、代わりに趣味や読書が充実するようになったそうです。
おしまい
倍速視聴の「本当の危険」
ここからは、動画の倍速がなぜ危険なのか?に入ります。
関心のある方は見て行ってください。
ここ、かなり重要です。
🔹 危険①:理解した“錯覚”が起きる
倍速でも脳は追いつけます。
しかし追いついているのは「音」だけ。
- 意味の咀嚼
- 他の知識との接続
- 自分なりの解釈
これらが丸ごと省略されます。
👉
「分かった気がする」が増え、
「説明できること」が増えない。
🔹 危険②:脳が“常に急がされる状態”を学習する
倍速に慣れると、脳はこう誤学習します。
ゆっくり=退屈
間がある=無駄
結果、
- 本が読めない
- 人の話が長く感じる
- 考える前に結論を欲しがる
思考の耐久力が落ちていきます。
🔹 危険③:「速さ=賢さ」という勘違い
本当に賢い人ほど、
- ゆっくり
- 何度も止まり
- 同じところを考える
倍速は、
理解の速度ではなく、消費の速度を上げるだけ。
お寿司屋に行って味わわずに、半分の時間で詰め込んで帰るようなもの。

🔹 決定的な一言
倍速で得られるのは「時間」ではなく、
「理解したという錯覚」である。
最終章
【ここからの指摘は危険なので注意してお進みください】
ここから先は、
誰かを傷つけるための話ではありません。
ですが、読む人によっては「自分の居場所」を揺さぶられるかもしれません。
それでも進む方だけ、お読みください。
動画依存にはコメントといいね!がセットになっている
SNSや動画のコメント欄に書き込むと、
たとえ一言でも「参加している感覚」が得られます。
・誰かに見られている
・誰かと同じ場にいる
・自分は一人ではない
これはとても自然な感情です。
人間は社会的な生き物ですから。
日記やメモは違います。
誰にも見られず、反応も返ってきません。
完全に「自分と向き合う行為」です。
この差は、想像以上に大きい。
コメントは「思考」ではなく「接続」
コメントを書く行為は、
深く考えることよりも つながること が目的になりやすい。
・共感されたい
・ズレていないか確認したい
・孤立していないと感じたい
だからコメントは気持ちよく、
だからこそ何度も書きたくなります。
でもここで、ひとつだけ厳しい事実があります。
孤独に耐えられないと、思考は深まらない
深い思考は、ほとんど例外なく
孤独な時間の中でしか生まれません。
誰にも評価されず
誰にも肯定されず
誰にも見られていない状態
この状況に耐えられる人ほど、
・考えが長く続き
・自分の言葉を持ち
・流行や空気に振り回されにくい
という傾向があります。
逆に言えば、
常につながっていないと不安な人ほど、
思考は浅く、断片的になりやすい。
これは性格の善し悪しではありません。
環境と慣れの問題です。
本当に怖いのは、孤独ではない
本当に怖いのは、
・一人でいる時間をすべて埋めてしまうこと
・沈黙に耐えられなくなること
・自分の考えを持たなくなること
コメント欄は、
孤独を和らげてくれます。
でも、
孤独からしか生まれないものもある。
それを知らないまま大人になると、
一生「誰かの言葉」で考えることになります。
最後に
もし今、
・動画やSNSがやめられない
・一人の時間が落ち着かない
・何かしていないと不安
そう感じたなら、
それはあなたが弱いからではありません。
ただ、
「考える時間」が足りていないだけです。
静かな時間は、
退屈ではなく、
思考が育つ場所です。




