第十六話:断絶する時間

1. 喪失した質量

[壁の傷:ⅰⅱⅲⅳⅴⅵⅶ ⅷ ⅸⅹⅺⅻⅰⅱⅲⅳⅴⅵ ⅶ ⅷ ⅸⅹⅺⅻ ]

(……遠い昔の夢を見た気がする。あの高く、孤独な石碑は何だったのだろう)

ふと気づくと、自分の身体が羽根のように軽くなったが、それは軽快さではなく、肉体から質量が消えたような生理的恐怖を伴う浮遊感だった。

「あれ、揉んでくれてたの?」

その女性は常に「誰か」の身体に細やかな配慮をしていた。
しかし、彼女にとって重要なのは、誰かの身体能力が向上することだけであり、それが唯一の記憶だった。
「すごい……まさに天才的だわ、私! 今日はできる気がする……。ありがとう、マミ!」

マリンはマミを部屋の外へと促した。
彼女は気づかなかったのだ。
自分に触れていたマミの手の皮膚が、静かにただれ、剥がれ落ちていることに。
パピルスの魔力に蝕まれることも厭わないその献身の「異常さ」さえ、今の彼女には無関心だった。

天井の闇の中で、チセイは冷たく微笑んだ。(……さて、この人間は。手に入れた『愛玩物』が壊れるまで、その温もりに気づくことはないのだろうか)

2. 1/4000秒の敗北

地上では、かつてマリンの動画が一千万再生を達成した記者・ショコは、苛立ちを感じていた。
最新鋭の機材を使い、1/4000秒のシャッタースピードと秒間30コマの連射を試みるが、レンズが捉えるのは虚無的な残像のみだった。

「ドローン越しなら完璧に捉えられたのに……。直に追っているのに、残像すら掴ませないなんて!」

表舞台から姿を消しつつあるマリン。
しかし、その謎めいた熱狂は静かに広がり続けている。
執念で荒れ地にたどり着いたショコの前に、不敵な笑みを浮かべた「謎の女」が立ちはだかる。

……気がついた時、ショコは喧騒の中に放り出されていた。 機材のデータはすべて消失し、代わりに見慣れた「船長のステッカー」が貼られていた。
『10,000,000再生おめでとう』 その皮肉な祝辞に、ショコは絶叫した。その瞬間、街の空気が激しく震動したことに、彼女はまだ気づいていない。

3. 静止した海

「今日、私は一分成長したの。もう少しであの場所に手が届きそう。」石室に戻ったマリンは、マミに囁いた。より強く、より美しく。 「……返事してくれないの?」

マミはまばたきを一切しなかった。その肌は石のように硬く、無機質な質感へと変わりつつある。マリンの背筋には、ゆっくりと冷たい汗が流れ落ちた。何かが、決定的に崩れ始めている。

彼女は夜の海に走り、奇跡が起きる浄化の場所へ向かった。しかし、波は静まり返り、何も応えなかった。デッキにひれ伏し、祈るように深淵を見つめても、海洋の神は彼女の声を拾わなかった。その「沈黙」が最も恐ろしかった。

その瞬間、石室に転がっていたパピルスから、一筋の光がほのかに現れ、マミの頭部に吸い込まれていった。チセイは、歪み始めた時間を楽しむかのように目を細めた。「……このあたりで、時(とき)がねじれているな」

残り、三日。

●現在のレベル:重り 60キロ(3段階目)/時間 13分(2段階目+3m)

番外編:歳を置き去りに

オリノコの長老、キヨミは未来を知る者チセイに、日本のざわめきについて語る。
キヨミの瞳は、石室で苦しむ女性を見つめ、誰かの運命が大きく揺れることを示唆する。
彼はかつてのアイドルを思い出し、去った後には古い写真が残されていた。
写真には、丸くて柔らかい彼女が写っていた。