89回目|『数学の証明と、解けない人のココロ』

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ブログ投稿、ラノベ連載、メダカの飼育。50代独身の『イッシン』は、日々を自分の足で力強く生きていた。

そんなある日、妹から唐突なメールが届く。

『身体大丈夫ですか?ちーこと2人で心配してます。エアコンありますか?入院とか困っていたら教えてください』

『イッシン』は呆れつつも、ぶっきらぼうに「エアコンも効いてるし至って健康!ブログも88回続いてて超多忙。母の日に便りも出してる。無用な心配は無用!」と打ち返した。

返信を終え、一度は決着がついたはずだった。

しかし、そのメールをきっかけに、『イッシン』の脳裏には封印していた昔の記憶と、抑えきれない「怒りと悲しみ」が蘇ってしまうのだった。


【第1幕】「無力な心配」への疑問

『イッシン』は岩山の『長老』に胸の内を打ち明けた。

「長老、母も妹も定職や財産があるわけではありません。仮に僕が100万円貸してと言っても無理でしょう。なぜ人間は、救うための『具体的な力』もないのに、悪い想像をして心配ばかりするのでしょうか?」

長老は静かに答える。

「それは進化の過程で身についた心理だよ。心配とは『問題を解決する力』ではなく、『異常に気づいて行動を起こすためのアラーム』なんだ。100万円は貸せなくても、救急車を呼んだり異変に気づくことはできる。心配する能力だけは、子供が何歳になっても現役なのかもしれないね」


【第2幕】見てもらえない現実と、消えない傷

しかし、長老の物分かりの良い説明も、『イッシン』の胸のモヤモヤを消すことはできなかった。『イッシン』はさらに奥にある「本当の理由」を明かした。

「妹は精神の病を抱え、陰謀論や終末論に毒されている。

そして母は……僕が子供の頃、10年以上も放置した時期があった。僕が左耳に一生残る傷を負った時も、いない所で『言うことを聞かないあの子が悪い』と責任を僕になすりつけていた。

定職やお金がなくてもいい。ただ、消費するだけの生き方ではなく、自分の生き方で強さを示してほしかった。

それなのに、僕が毎日積み上げているブログや小説の現実は見ようともせず、今さら『エアコンはあるか』『入院してないか』と、悪い想像だけをして心配してくる。

『そんなことより僕の88回の投稿を見ろ!母の日に仕送りも手紙も出してるだろ!』と怒鳴り散らしたいのを、僕は必死で抑えているんです!」

長老は頷いた。

「そうか……君が怒っているのは心配されたことではなく、『今の自分の前向きな姿を見てもらえない寂しさ』なんだね。過去の傷があるからこそ、上っ面の言葉だけでは受け取れないんだ」


【第3幕】解のない問い、文学の領域へ

長老にお礼を言い、その場を去った『イッシン』。

長老の解釈は間違っていない。しかし、自分の胸の奥にある「憎しみ」や「虚しさ」の根底には、それでも届かない何かがあった。

「長老の言っていることは正しい。でも、僕の感情の本当の答えではない……」

崖の上に一人立ち、『イッシン』は風に吹かれながら思った。

数学の証明には、難問であっても必ず『美しい正解』が存在する。

だが、人間の心には、誰もが納得する唯一の証明など存在しないのだ。


【まとめ】なぜ、人は百年以上も『カラマーゾフ』を読むのか

心理学や脳科学の「認知バイアス」という言葉を使えば、人の傾向を説明することはできる。

しかし、それは一人の人間が抱える「複雑な感情のすべて」を解き明かす法則ではない。

長老の解釈が『イッシン』の心を完全に救えなかったとしても、それは失敗ではない。

「人間の心は、一つの理論では証明しきれない」という、紛れもない現実の証明だからだ。

一度証明が終われば書き換えられない「数学のテキスト」と違い、文学は違う。

『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』が100年以上経った今も読み継がれているのは、登場人物たちの心がたった一つの正解に定まらないからだ。

人間には、完璧な「解(証明)」は存在しないのかもしれない。

しかし、答えがないからこそ、私たちは他者を理解しようと対話し、言葉を紡ぎ続ける。

《終わり》


#心理学 #認知バイアス #家族 #文学 #対話

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