孤独とは、何を基準に感じるのでしょうか。

「一人きり」であること。

私は以前、それこそが孤独だと思っていましたが、それはほんの一側面に過ぎませんでした。

私は趣味で、自分だけの小さな挑戦としてライトノベルを書いていますが、時折「このまま書き続けられるだろうか」と不安になることがあります。そんな時に、ふと思うのです。

もし、この世界を創った偉大な創造主がいるとしたら。

誰からも賞賛されず、誰からも関心を持たれずに、これほど果てしない宇宙を独りで創造し続けることができるのだろうかと。

それは、褒められるためではなく、存在そのものを豊かにするための創造なのかもしれません。「見られるから価値がある」のではなく、存在そのものが価値であるという、人間とは異なる領域。

しかし、人間の場合はどうでしょうか。

どんな天才的な作家や芸術家であっても、「自分以外にほとんど人がいない世界」で、作品を作り続けることはきっとできなかったはずです。

そして、私たちの「人生」もまた、その創作に似ています。

人は生まれてから、誰も見ていないところで泣き、頑張り、あまりにも多くのドラマを経験しています。

こちらから見えるのは、その人の「今日の一ページ」だけです。

しかし実際には、その人にも何十年分もの重厚な章(ストーリー)があります。

私たちは、表紙も見えず、目次もなく、いきなり途中の一行だけを読まされているようなものです。

私はそんな時、ふと、底知れない寂しさが湧き上がることがあります。これもある意味での「孤独」の正体なのかもしれません。

多くの人は、普段この「見えないドラマの寂しさ」を意識していません。忙しさや、与えられた役割の影に隠しているだけなのです。

ある人は、酒で流す。

ある人は、忙しさで埋める。

ある人は、冗談にして笑い飛ばす。

ある人は、「考えても仕方ない」と心を閉じる。

ある人は、過剰に他人に認められたがる形でそれが出る。

どんな人も無意識のうちに、「自分というドラマが誰にも見えない寂しさ」を抱えて生きているのではないでしょうか。

✦ 自分にとっての「小さな村」を再構築する

以前、ブログで紹介した「センチネル島」の人々は、わずか数十人から数百人の人口で暮らしています。彼らにとってはその島だけが唯一の世界であり、一人一人が自立して満ち足りた暮らしを営んでいます。

また、名作『赤毛のアン』に登場するマシューおじさんは、極端な女性恐怖症として描かれています。愛想のいい女性を前にするだけで、声が出なくなってしまうほどでした。

彼は決して、心が弱い人間ではありません。むしろ誠実で働き者で、周囲から深く信頼されている男性でした。


実は、私もマシューと同様に「女性に対して強い緊張感」を抱いています。ただ、彼と異なるのは、その女性が他の人には明るいのに、私に対してだけ冷淡な態度をとる場合です。その理由が分からない恐怖から、心臓が締め付けられるような苦しさを感じることがあります。

決して相手を責めたいわけではありません。ただ、「自分にどんな欠点があったのだろうか」という不安が強く働き、立場上その理由を直接尋ねることもできません。その不可解な疑問が、心の中でぐるぐると回り続けてしまうのです。 ある人は「そんなことで気にするなんて小心者だ」と思うかもしれませんが、脳が生み出すその恐怖の壁は、非常に生々しく、抗うことが難しいのです。


「相互の取扱説明書」が共有されている安心感

しかし面白いことに、マシューの暮らす村の人々は、彼のその性質(取扱説明書)を完全に理解していました。

女性たちは彼を無理に変えようとはせず、「彼を怖がらせてはいけない」という暗黙のルールを共有し、あえて話しかけずにそっとしておくという、最大の配慮をしていたのです。

現代社会は、見知らぬ無数の人と行き交い、SNSで何万人もの目にさらされる場所です。皮肉なことに、多くの人がいるからこそ、誰も本当の自分を知らないという「孤独」が加速します。

物理的に昔の村に戻ることはできません。

しかし、「自分の人間関係の規模を、信頼できる小さな村のサイズに絞り込む」ことは、個人の意思でコントロールできます。

不特定多数の「不可解な世界」と無理に正面から向き合う必要はありません。

自分が安心して言葉を交わせる人、自分の取扱説明書を理解してくれる人、あるいは――自分自身の内面や創作といった、完全にコントロール可能で安全な世界。

そこに自分だけの「小さな村(領地)」を静かに構築していくことも、現代を生き抜くための、一つの賢明な生存戦略ではないでしょうか。

補足:記憶の中に残る人】

昨年、同じ職場で働いていた方が亡くなりました。
まだ七十歳になったくらいの年齢でした。

その方はアパートで一人暮らしをしていました。
職場に来なかったことで異変に気づかれ、亡くなっていたことが分かりました。

その時、私はふと思いました。

私がその方と過ごした時間は、決して長いものではありません。
けれど、その短い時間の中にも、その人なりの怒りがあり、苦労があり、気遣いがあり、日々の生活がありました。

そして、その人の人生には、私などが知ることのできない、もっと長いドラマがあったはずです。

それが死とともに、すべて消えてなくなってしまうのだろうか。

そう考えると、とても寂しくなります。

しかし、私はそうではないと思いました。

その人は、私の記憶の中に残っています。
そして、私がその人のことを誰かに話せば、その記憶はまた別の人へと引き継がれていきます。

人は、完全には消えないのかもしれません。

名前も、声も、表情も、何気ない仕草も、誰かの記憶の中に少しだけ残る。
そしてその記憶がまた誰かに語られた時、その人の人生の一部は、静かに受け継がれていくのだと思います。

#孤独 #創作 #生き方 #人生は無数のページ