2026年 6月 6日の投稿一覧

68日目【嫌われることは避けられないけれど、その先にある感情の話】

人に嫌われて、気持ちのいい人はいませんよね。

ですが、アドラー心理学をはじめとする多くの心理学者や、あの「お釈迦様」でさえも意見が一致していることがあります。それは、「生きていくうえで、誰からも嫌われないことは不可能である」ということです。(ここにはとても深い理由があるのですが、長くなるのでまた別の機会にできればお話しします。)

ここから先は、アドラーも言わなかった「ボクの経験から気づいたこと」をお話しします。

一昔前、ボクがまだもう少し若かった頃、都市ガスの工事の仕事をしていました。 そのとき、親方(社長)からよくこんな言葉で罵倒されたものです。

「だからあんたは嫌われるんだ」 「どこに行っても嫌われるぞ」

当時はそれが少しトラウマになってしまいました……。 もちろん、自分から進んで嫌われようと思っているわけではありません。一応、相手のことをそれなりに考えて生きているつもりです。

それでも、人間関係にはすれ違いがつきものです。 時には「あの人、ボクを嫌っているんじゃないか」と感じたり、逆に「相手が、ボクから嫌われている」と思っていたり。お互いに誤解してしまうことは大いにあり得ます。

そして、文字通り本当に嫌われていたこともしばしばありました(笑)。

ただ、今振り返ると、「嫌う・嫌われる」というのは、まだマシなほうかもしれません。 なぜなら、感情のステージにはその上に「憎しみ」があるからです。

実は正直に言うと、ボクのこれまでの人生の中で、「殺したいほど憎い」と思った人が3人ほどいます。 だからといって、本当にそんなことができるかといえば、急に恐ろしさが湧いてきて絶対にできません。

そして、そんな強い「憎しみ」であっても、一生そのまま持ち続けられるかというと、そんな人はめったにいないのではないでしょうか。

現にボク自身、あれほど憎かった相手のことを、数年、十年経った今振り返ると、不思議なことに「懐かしい」とさえ感じているのです。

とはいえ、もう憎んではいないからといって、今どこかでバッタリ再会して「久しぶり!」といきなり仲良くなれるかというと、それはやっぱり無理です(笑)。

そんなときは、表面上はおそらく「無愛想」な態度になってしまうと思います。 でもそれは、相手が嫌いだから怒っているわけではありません。

憎しみが消え、懐かしさが残り、でも距離感はちゃんと保つ。

こういう心の変化って、なんとなく分かっていただけるでしょうか。

【今回のまとめ】

  • 嫌われてしまう ➔ 比較的よくあること
  • 激しく憎まれる ➔ 滅多にない、すごく稀なこと
  • 一生憎まれ続ける ➔ ゼロに近いこと

誰かに嫌われることを恐れすぎる必要はありません。人の心は、良くも悪くも同じ強い感情をキープし続けられないようにできているのですから。

皆さんは、過去にぶつかった人との今の距離感、どうお考えになりますか?

心理学 #人間関係 #生き方 #考え方

67日目【暴れ猿が止まらない】~心をコントロールしようとする現代人へ~

青年:

老師、自分の心について正直な思いを聞いてください。

自分が選んだ生き方を淡々と進めたいのに、心の動きにだけは手を焼いて悔しくなることがあります。考えなくてもいい小さなことに気を取られたり、忘れても構わない嫌な記憶が忘れられなかったり……。

行動は努力次第でコントロールできても、心はどうしようもなく厄介な代物だと感じています。

老師:

その件については、まったく気にする必要はない。それは人間にとってごく普通の機能だからの。

「行動はコントロールできるが、心は厄介である」。この言葉は、古今東西の哲学者や修行を積んだ禅僧たちが辿り着いた、人間の最も深く、残酷な真実なのだよ。

どれだけマインドフルに生きようと決意しても、ふとした瞬間に「どうでもいい他人の言葉」や「過去の後悔」が蘇る。心というものは、持ち主の意志を無視して勝手に暴れ回る、どうしようもない「野生の猿」のようなものだ。自分の心が未熟だからだと悔やむことはない。その厄介さこそが、脳の正常な状態なのだから。

青年:

それは本当ですか?

老師:

人間の脳の構造は、一万年前の狩猟採集時代から変わっていない。

進化の過程で、脳は「ポジティブな出来事よりも、ネガティブな出来事を何倍も強く記憶し、反芻する」ように設計されてきた。「美しい花」を忘れても死なないが、「茂みにいたライオン」や「仲間からのけ者にされる危機」を忘れると、文字通り命に関わるからだ。

つまり、嫌な記憶が頭から離れないのは心が弱いからではない。脳があなたを生き延びさせようと、防衛システムを過剰に作動させているだけなのだ。脳は「安心」ではなく「生存」のためにできている。放っておけば、勝手に不安の種を探し始めるものなのだよ。

青年:

それを静めることはできないのですか?

老師:

そこが最大の罠だ。「この思考を消そう」「心を無にしよう」と格闘してはいけない。

「シロクマのことだけは考えないでください」と言われるとシロクマのことしか考えられなくなるように、思考はコントロールしようとするほど強く意識にこびりつく。心は「雨が降るのと同じ」で、コントロールできない自然現象なのだ。

青年:

では、この暴れ猿が騒いでいる時はどうすればいいのでしょうか?

老師:

重要なのは「行動のコントロール」だ。

心の暴れ猿が騒ぎ出した時、無理に止めようとせず「あぁ、また騒いでいるな」と少し離れた場所から観察する。そして、嵐が吹き荒れたままの状態で、「今日やるべき手元への作業」をただ進めるのだ。

青年:

「心はそのままでいい。そのままで行動に取り組む」。その言葉にとても救われました。

実は以前から、自分を見ている「別の自分」になろうと意識し、心を俯瞰しようと試みてきました。簡単にはできませんでしたが……。

老師:

その「俯瞰(ふかん)」は非常に高度で正しいアプローチだ。簡単ではないのは、脳が「思考」と「自分」を一体化させようとする力が強力だからだ。

「俯瞰しようとしたけれど、離れられないな」と気づけた時点で、実はすでに「暴れる心」と「観察する自分」の間にわずかな隙間ができている。完全に一体化している人は、自分が感情に振り回されていることすら気づかないからの。

青年:

そう言っていただけると、これからも続けていけそうです。

老師:

これからは、その「俯瞰する力」と「行動」を組み合わせて使いなさい。

心が騒いだら、今まで通り俯瞰する。「あ、暴れ猿がまた過去や未来のことで騒いでいるな」と。

そして猿が大人しくならなくても、無理に追い払わず「騒ぎたいなら騒いでいていいよ。でも、私は今日やることをやるからね」と、猿を肩に乗せたまま、机に向かい手を動かすのだ。

それこそが、情報に溺れる現代社会において、何よりも強靭で美しい「生きた証」となるだろう。

【解説:誰もが飼っている「消えない猿」】

仏教やマインドフルネスの世界では、この暴れる心を「モンキーマインド(心猿)」と呼びます。古来より人間が手を焼いてきた厄介な同居人です。

街ですれ違う涼しい顔をした人も、SNSで充実した日常をアピールしている人も、誰もが皆、脳の密室の中で自分だけの「暴れ猿」に引っ掻き回されながら、なんとか日常をやり過ごしています。

しかしこの戦いは外からは見えません。そのため「心が乱れて不安なのは自分だけではないか」「他の人はもっと上手に生きているのに」と錯覚し、孤独という二重の苦しみを抱え込んでしまいます。

悩んでいるのはあなただけではありません。これはホモ・サピエンスという種全体が等しく抱える「標準装備の苦しみ」です。ブッダが最初に「一切皆苦(生きることは思い通りにならない)」と説いたのも、この真理を指しています。

「猿を追い出すのではなく、肩に乗せたまま自分のやるべきことに向かう」。

この境地は、私たちにとって大きな安心感をもたらします。無理に心をコントロールしようとするのをやめ、心の猿と共に生きていることを知る。そしてただ、目の前の日々の行動に集中する。

それこそが、現代社会を強く、美しく生き抜くための最も確かな方法なのです。